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お問い合わせは、 info@gunmawen.net本広告は、30日以上記事の更新がされませんと自動的に掲載されます。 記事が更新された時点で、自動的に破棄されます。2010年05月31日
5月病?
なんだかだるいです。。
食欲はあるんですけど。
なんとなくカラダが重いです。。
ただ太っただけかもしれませんけど。
「このところ調子がよくないんだよね。私、5月病かな?」というと、
「5月病って、ふつう、新入社員とかがなるんじゃないの?」って。
そういわれてみれば、そんな気も。。
ただの体調不良だとは自分でもわかってるんですけど、
なんとなく今の季節になりやすい症状なのかな?
と思って。
でも、明日から6月。
5月病なんて言ってられません!
もう6月なんですから(苦笑)。
自分のカラダとココロを上手にコントロールして、
暑い(熱い!)夏に向かってガンバリマス。
食欲はあるんですけど。
なんとなくカラダが重いです。。
ただ太っただけかもしれませんけど。
「このところ調子がよくないんだよね。私、5月病かな?」というと、
「5月病って、ふつう、新入社員とかがなるんじゃないの?」って。
そういわれてみれば、そんな気も。。
ただの体調不良だとは自分でもわかってるんですけど、
なんとなく今の季節になりやすい症状なのかな?
と思って。
でも、明日から6月。
5月病なんて言ってられません!
もう6月なんですから(苦笑)。
自分のカラダとココロを上手にコントロールして、
暑い(熱い!)夏に向かってガンバリマス。
2010年05月30日
かぶのスープ
この寒さはなんということでしょう。。
昨日は、セーターを引っ張りだして、
また着ちゃいました。
このところ暖かくなってきたなーと、
サラダが食べたくなってきたなーと、
生野菜をたっぷりバリバリ食べていたのですが、
さすがにこう寒いとサラダという気分にならず、
あったかいスープが飲みたくなります。
なので、かぶのスープを作りました。
なたね油と塩だけで作るシンプルなスープ。
かぶのこっくり感があってとてもいい感じ。
色が白いので、一見シチューのようにも見えますが
かぶのスープです。
小さいかぶ、大きいかぶ、とんがったかぶ、根が2つあるかぶ。
どんなかぶでも一緒にスープになってしまいます。
本当に”かぶかぶ”したスープです(笑)。
家族も大好きで、みんなでほっこり。
私は最近まで、”かぶ”がどういうふうに畑にできるか知りませんでした。
大根とかと一緒で、白い部分は全部土の中かと思っていたら、
土の中にあるのは、ひょろんとした根の部分だけなんだそうです。
土の上に、ぽこんと”かぶ”があるんだそうです。
そういえば、
「うんとこしょ、どっこいしょ!」のあの絵本。
懐かしい。。
『おおきなかぶ』です。
みんなで力をあわせてかぶをひっこ抜く、あの絵本です。
あの絵では、確かにかぶは地上で見えていたような気が。。。
まぁ、とにもかくにも、
かぶは”私の好きな野菜ベスト3”に入る野菜です。
そのまま生で食べたり、煮物にしたり、漬物にしたり、スープにしたり、ソースにしたり。。。
私の寵愛を受けている野菜です(笑)。
昨日は、セーターを引っ張りだして、
また着ちゃいました。
このところ暖かくなってきたなーと、
サラダが食べたくなってきたなーと、
生野菜をたっぷりバリバリ食べていたのですが、
さすがにこう寒いとサラダという気分にならず、
あったかいスープが飲みたくなります。
なので、かぶのスープを作りました。
なたね油と塩だけで作るシンプルなスープ。
かぶのこっくり感があってとてもいい感じ。
色が白いので、一見シチューのようにも見えますが
かぶのスープです。
小さいかぶ、大きいかぶ、とんがったかぶ、根が2つあるかぶ。
どんなかぶでも一緒にスープになってしまいます。
本当に”かぶかぶ”したスープです(笑)。
家族も大好きで、みんなでほっこり。
私は最近まで、”かぶ”がどういうふうに畑にできるか知りませんでした。
大根とかと一緒で、白い部分は全部土の中かと思っていたら、
土の中にあるのは、ひょろんとした根の部分だけなんだそうです。
土の上に、ぽこんと”かぶ”があるんだそうです。
そういえば、
「うんとこしょ、どっこいしょ!」のあの絵本。
懐かしい。。
『おおきなかぶ』です。
みんなで力をあわせてかぶをひっこ抜く、あの絵本です。
あの絵では、確かにかぶは地上で見えていたような気が。。。
まぁ、とにもかくにも、
かぶは”私の好きな野菜ベスト3”に入る野菜です。
そのまま生で食べたり、煮物にしたり、漬物にしたり、スープにしたり、ソースにしたり。。。
私の寵愛を受けている野菜です(笑)。
2010年05月29日
キャロブとアーモンドのクッキー
修行先の先輩が作っていたクッキーです。
大好きだったので、レシピを教えてもらい、
時々作っています。
焼くときのなんともいえない香ばしい匂い。。
今でもこの鼻が覚えていて、
時々むしょーに、かぎたくなります(笑)。
くんくん。。
この茶色というか黒い感じは、
「キャロブパウダー」の色です。
「キャロブパウダー」とは、
いなご豆のさやをパウダー状にしたもので、
マクロビでは、チョコ(ココア)の代用として使います。
植物性でカフェインフリーです。
ココアと一緒で、キャロブ自体には甘みはありません。
どちらかというとほろ苦い感じです。
なので、クッキーを作るときには、
私は少しきび砂糖を入れて焼いています。
アーモンドの力も手伝って、
”香ばしく、ほろ苦いけれどほんのり甘い”、
そんな感じのクッキーです。
キャロブ自体の扱いとしては、
ここではきび砂糖を使っていますが、
米あめとか、メープルシロップとか、
お好きな甘みを加えてもいいと思います。
ちなみに、キャロブチップスというのもあって、
チョコチップスとそっくりです。
言われなければチョコチップスだと思って食べてしまいます。
ホントに、チョコです!
甘くておいしいチョコレートは、
疲れたときにむしょーに食べたくなりますよね(笑)。
食べることで精神的な充足感が得られるときもあります。
でも、けっこうカラダに刺激が強いというのも事実です。。。
”どうしてもチョコレートがやめられない!!”
”でも、カラダを労わりたい・・・”という人は、
時々キャロブチップスを食べるといいかもしれません。
たくさん食べればやっぱりカラダにはよくありませんが、
普通のチョコを食べるよりは、カラダへの負担が少ないです。
この辺だと、このブログに何度か登場している、
「鈴木酒店」さんに置いてあります。
試しに食べてみたい方は行ってみてください。
あと、クッキーは店頭のほか、
今度のふれあい朝市にも持って行く予定です。
食べてみたい方はぜひお越しくださいませ。
大好きだったので、レシピを教えてもらい、
時々作っています。
焼くときのなんともいえない香ばしい匂い。。
今でもこの鼻が覚えていて、
時々むしょーに、かぎたくなります(笑)。
くんくん。。
この茶色というか黒い感じは、
「キャロブパウダー」の色です。
「キャロブパウダー」とは、
いなご豆のさやをパウダー状にしたもので、
マクロビでは、チョコ(ココア)の代用として使います。
植物性でカフェインフリーです。
ココアと一緒で、キャロブ自体には甘みはありません。
どちらかというとほろ苦い感じです。
なので、クッキーを作るときには、
私は少しきび砂糖を入れて焼いています。
アーモンドの力も手伝って、
”香ばしく、ほろ苦いけれどほんのり甘い”、
そんな感じのクッキーです。
キャロブ自体の扱いとしては、
ここではきび砂糖を使っていますが、
米あめとか、メープルシロップとか、
お好きな甘みを加えてもいいと思います。
ちなみに、キャロブチップスというのもあって、
チョコチップスとそっくりです。
言われなければチョコチップスだと思って食べてしまいます。
ホントに、チョコです!
甘くておいしいチョコレートは、
疲れたときにむしょーに食べたくなりますよね(笑)。
食べることで精神的な充足感が得られるときもあります。
でも、けっこうカラダに刺激が強いというのも事実です。。。
”どうしてもチョコレートがやめられない!!”
”でも、カラダを労わりたい・・・”という人は、
時々キャロブチップスを食べるといいかもしれません。
たくさん食べればやっぱりカラダにはよくありませんが、
普通のチョコを食べるよりは、カラダへの負担が少ないです。
この辺だと、このブログに何度か登場している、
「鈴木酒店」さんに置いてあります。
試しに食べてみたい方は行ってみてください。
あと、クッキーは店頭のほか、
今度のふれあい朝市にも持って行く予定です。
食べてみたい方はぜひお越しくださいませ。
2010年05月28日
季節の移ろい
昨日は久しぶりに昼間に散歩に行きました。
犬は大喜び(笑)。
なぜ大喜びするかというと、
昼間だと、川遊びができるからです。
うちの犬は、川で遊ぶのが好きです。
人や犬がまわりにいないのを確認して、
すこーしだけ綱から解放してあげます。
そうすると、
「た、た、たーーーっ」と
下に降りて行きます。
これは、4月初旬の写真。
今年は寒かったので、まだあまり草が生えていません。
そして、これは4月下旬の写真。
だいぶ草が増えてきました。
そして、これは5月中旬の写真。
だいぶ草の背丈が伸びてきました。
犬が草で隠れてしまうので、
ズームにしたけれど。。
やっぱり写真撮るの下手です(苦笑)。
夢中に遊んでいる犬の姿が好きで、
携帯を持っているとつい写真を撮りたくなってしまいます。
携帯の写真データをぽつぽつと見ていたら、
ずいぶん草が伸びたんだなと思って、
ブログに載せてみました。
そういえば、農家さんが
「畑の草がそこらじゅう伸びてきてるんだよねー(汗)」
と焦っていました。
また草むしり手伝ってあげないといけないかもしれません。
手遅れになる前に。。。
犬は大喜び(笑)。
なぜ大喜びするかというと、
昼間だと、川遊びができるからです。
うちの犬は、川で遊ぶのが好きです。
人や犬がまわりにいないのを確認して、
すこーしだけ綱から解放してあげます。
そうすると、
「た、た、たーーーっ」と
下に降りて行きます。
これは、4月初旬の写真。
今年は寒かったので、まだあまり草が生えていません。
そして、これは4月下旬の写真。
だいぶ草が増えてきました。
そして、これは5月中旬の写真。
だいぶ草の背丈が伸びてきました。
犬が草で隠れてしまうので、
ズームにしたけれど。。
やっぱり写真撮るの下手です(苦笑)。
夢中に遊んでいる犬の姿が好きで、
携帯を持っているとつい写真を撮りたくなってしまいます。
携帯の写真データをぽつぽつと見ていたら、
ずいぶん草が伸びたんだなと思って、
ブログに載せてみました。
そういえば、農家さんが
「畑の草がそこらじゅう伸びてきてるんだよねー(汗)」
と焦っていました。
また草むしり手伝ってあげないといけないかもしれません。
手遅れになる前に。。。
2010年05月26日
6月の店休日
5月ももうすぐ終わりです。
早い。。
そして、6月の店休日のお知らせです。
6月7日(月)
13日(日):出張料理のため、お店はお休みです。
14日(月)、15日(第3火曜日)
21日(月)
28日(月)
ちなみに、
6月6日(日)は「ふれあい朝市」です。
”キッチンとちの実”出店のため、店舗での販売はありません。
よろしくお願いします。
献立については、決まったらブログにアップします。
そういえば、昨日の雷はすごかったですね。
犬が非常におびえ、いろんなものをひっくり返していました(苦笑)。
このところの雨といい、もうすぐ梅雨入りでもするのでしょうか。。。
じめじめジットリした季節を乗り切るべく、
気合を入れて6月突入したいと思います!
早い。。
そして、6月の店休日のお知らせです。
6月7日(月)
13日(日):出張料理のため、お店はお休みです。
14日(月)、15日(第3火曜日)
21日(月)
28日(月)
ちなみに、
6月6日(日)は「ふれあい朝市」です。
”キッチンとちの実”出店のため、店舗での販売はありません。
よろしくお願いします。
献立については、決まったらブログにアップします。
そういえば、昨日の雷はすごかったですね。
犬が非常におびえ、いろんなものをひっくり返していました(苦笑)。
このところの雨といい、もうすぐ梅雨入りでもするのでしょうか。。。
じめじめジットリした季節を乗り切るべく、
気合を入れて6月突入したいと思います!
2010年05月25日
「感動です」
体調を崩すといつもお世話になっている整骨院の先生がいます。
”首の頚椎のゆがみを調整することで自然治癒力を高めていく”
という療法をされている先生です。
その先生とのある日の会話を思い出しました。
私が、「食」の世界に入り、
”食”、”食”と言っていた頃のことです。
肉体的にも精神的にも疲労していたときに、
「カラダの栄養と同時に、ココロの栄養もとらないといけませんよ」
といわれました。
「ココロの栄養、ですか。。。」
「ココロの栄養ってなんだとおもいますか?」
と聞かれ、
「うーーーん、”愛”ですかね??」
と答えると、
「感動です」
といわれました。
「感動、ですか。。。」
なぜこの会話を思い出したかというと、
昨日ある人との会話中、なぜか泣いてしまったのです。
”わぁ、すごい!”とか、
”きゃー!きれい!”とか、
そういうのではなく、
落ち着いてゆっくり話をしている中で、
はらはらと涙が出てきてしまったのです。
多分、私のココロが感じて動いたんだと思います。
突然目の前で泣かれたその人は、
「えっ!?なんか悪いこといった??」と焦っていましたが、
そうじゃないんです。
私のココロが何かを感じて、動いたんです。
その何かとは、やさしさのような、強さのような、
いたわりともいえる、あたたかい何かだったんだと思います。
みんなそれぞれ、
いろんな想いがあって、願いがあって、
悩んだり、苦しんだり、悲しんだり。
喜んだり、楽しんだり、そして、触れ合ったり。
でも、”感動”って、そういう中にもあるのかな?
と思ったのです。
素晴らしいといわれている、
映画を見たり、本を読んだり、コンサートに行ったり、美術館に行ったり、
そういう中にももちろん感動はあるのだけど、
何気ない日常の中にもあるんだな、と思ったのです。
「感じて動く」のは、誰でもない自分で、
”誰かに感動させてもらう”のでもなく、
”誰かを感動させる”のでもなく、
感動するのは、自分なのだと思ったのです。
ココロの栄養は”感動”です。
”感動”も大事なことです。
”首の頚椎のゆがみを調整することで自然治癒力を高めていく”
という療法をされている先生です。
その先生とのある日の会話を思い出しました。
私が、「食」の世界に入り、
”食”、”食”と言っていた頃のことです。
肉体的にも精神的にも疲労していたときに、
「カラダの栄養と同時に、ココロの栄養もとらないといけませんよ」
といわれました。
「ココロの栄養、ですか。。。」
「ココロの栄養ってなんだとおもいますか?」
と聞かれ、
「うーーーん、”愛”ですかね??」
と答えると、
「感動です」
といわれました。
「感動、ですか。。。」
なぜこの会話を思い出したかというと、
昨日ある人との会話中、なぜか泣いてしまったのです。
”わぁ、すごい!”とか、
”きゃー!きれい!”とか、
そういうのではなく、
落ち着いてゆっくり話をしている中で、
はらはらと涙が出てきてしまったのです。
多分、私のココロが感じて動いたんだと思います。
突然目の前で泣かれたその人は、
「えっ!?なんか悪いこといった??」と焦っていましたが、
そうじゃないんです。
私のココロが何かを感じて、動いたんです。
その何かとは、やさしさのような、強さのような、
いたわりともいえる、あたたかい何かだったんだと思います。
みんなそれぞれ、
いろんな想いがあって、願いがあって、
悩んだり、苦しんだり、悲しんだり。
喜んだり、楽しんだり、そして、触れ合ったり。
でも、”感動”って、そういう中にもあるのかな?
と思ったのです。
素晴らしいといわれている、
映画を見たり、本を読んだり、コンサートに行ったり、美術館に行ったり、
そういう中にももちろん感動はあるのだけど、
何気ない日常の中にもあるんだな、と思ったのです。
「感じて動く」のは、誰でもない自分で、
”誰かに感動させてもらう”のでもなく、
”誰かを感動させる”のでもなく、
感動するのは、自分なのだと思ったのです。
ココロの栄養は”感動”です。
”感動”も大事なことです。
2010年05月24日
まめまめプリン
このところ、まめプリン作りに励んでいました。
榛名心根農園さんの卵を使って、
豆乳をベースに、あれこれ。
小豆を入れたり、
黒豆を入れたり、
両方入れたり、
豆をつぶしてから入れたり、
豆を上にのせたり、下にしいたり、
黒蜜を上からかけたり、下にしいたり。。。
その結果出来上がりました、
適度なしっとり感をだした、
とちの実の”まめまめプリン”です。
構想当初は、
小豆と黒豆と大豆(豆乳)を使って、
”まめまめまめプリン”にしようと思っていたのですが、
小豆はプリンの食感に対して、少しかたさが目立ってしまうので、
黒豆だけを入れることにしました。
黒豆のほうが、黒蜜との相性もよいよう。。
この黒豆は、「もりのね」さんにある石橋さんの黒豆です。
塩で煮ただけなのに、ほんのり甘い。
黒豆ならではの深い甘さです。
使用している黒蜜は、マスコバド糖の黒蜜です。
これまた「もりのね」さんに置いてあって、
おいしいとオススメしてくれたので採用。
しつこくない甘さです。
何度かの試作で気づいたのは、
”温度”ってすごく大事なんだということ。
生地の温度によって、出来上がりのなめらか感が変わってきます。
卵を使っているから当たり前かもしれませんが。。。
たかが1℃、されど1℃。
人間だって1℃体温が違えば、体調は全然違いますよね。
卵だって、同じなんだなと思いました。
特に、平飼いの生きている卵なので、
余計に温度が関係するのかなと思ったり。。
やっぱり”適温”が大事ですね。
これからだんだん暑くなってくるので、
つるんとしつつ、しっとりしたプリンを、
ご提供できればと思っております。
次回の朝市に、出品予定です。
榛名心根農園さんの卵を使って、
豆乳をベースに、あれこれ。
小豆を入れたり、
黒豆を入れたり、
両方入れたり、
豆をつぶしてから入れたり、
豆を上にのせたり、下にしいたり、
黒蜜を上からかけたり、下にしいたり。。。
その結果出来上がりました、
適度なしっとり感をだした、
とちの実の”まめまめプリン”です。
構想当初は、
小豆と黒豆と大豆(豆乳)を使って、
”まめまめまめプリン”にしようと思っていたのですが、
小豆はプリンの食感に対して、少しかたさが目立ってしまうので、
黒豆だけを入れることにしました。
黒豆のほうが、黒蜜との相性もよいよう。。
この黒豆は、「もりのね」さんにある石橋さんの黒豆です。
塩で煮ただけなのに、ほんのり甘い。
黒豆ならではの深い甘さです。
使用している黒蜜は、マスコバド糖の黒蜜です。
これまた「もりのね」さんに置いてあって、
おいしいとオススメしてくれたので採用。
しつこくない甘さです。
何度かの試作で気づいたのは、
”温度”ってすごく大事なんだということ。
生地の温度によって、出来上がりのなめらか感が変わってきます。
卵を使っているから当たり前かもしれませんが。。。
たかが1℃、されど1℃。
人間だって1℃体温が違えば、体調は全然違いますよね。
卵だって、同じなんだなと思いました。
特に、平飼いの生きている卵なので、
余計に温度が関係するのかなと思ったり。。
やっぱり”適温”が大事ですね。
これからだんだん暑くなってくるので、
つるんとしつつ、しっとりしたプリンを、
ご提供できればと思っております。
次回の朝市に、出品予定です。
2010年05月23日
2010年05月23日
ご予約のお弁当
事前にご予約をいただければ、
こんなお弁当を作ったりしています。
野菜のおかずをご希望ということでしたので、
旬の野菜を使ってお作りしました。
・フライ(ニンジン、ごぼうと長ネギ串、車麩)
・旬のサラダ(ミックスサラダ、リーフレタス、春菊、新玉ねぎ、竹の子、
なす、かぶ、にんじん、大根、水菜)
・さつまいもと黒豆のサラダ、スナップエンドウ添え
・煮物(ごぼうとしめじのキンピラ、サトイモとシイタケ、
ニンジンのバルサミコ、ふき)
・かぶとニンジンのぬかづけ
・玄米と白米のハーフごはん
研修のお昼として召し上がると聞いておりましたので、
途中でおなかが減らないように、
ある程度、ボリュームのあるお弁当の内容です。
この1000円のお弁当は、
通常のメニューにはない献立なので、
ある程度まとまった数であればお受けしております(10ヶくらいから)。
ご連絡をいただいてから、
献立を考えて仕入れをするので、
だいたい4、5日前(わかっていればなるべく早く。。)くらいまでに
ご予約をいただけるとありがたいです。
昨日のご注文のお客様が、
お弁当箱を返しに来て下さった際に、
「おいしかったです。ボリュームがあったけど、全部食べちゃいました!」
といってくださいました。
その一言が、とてもとても嬉しいのです。
作る側としては、その一言を聞くまでは
やっぱりやっぱりとても不安なので。。。
本当にどうもありがとうございました。
2010年05月22日
土から
先日の農作業で感じたことがあります。
それは、土にはエネルギーがあるということです。
畑に立っていると、
足の裏からじんじん、じんじんと感じるのです。
地熱というものかもしれないけど、
太陽のエネルギーが土にしみこんで、
そのエネルギーが足からのぼってくる感覚がありました。
その話を農家の方にすると、
「へぇ~~~。」
といわれました。
「太陽のエネルギーはいつも感じていたけど、
”土から”っていうのは意識したことなかったなぁ・・」と。
毎日土の上にいるから気づかないだけかもしれません。
そのせいか、冷え性の私の足がぽかぽかしています。
あったかい陽気のせいもありますが、
以前はあったかな日でも冷たかった私の足が、
ぽかぽかしているのです。
”冷えは万病の元”といいます。
冷えが原因となっていることは、けっこうあります。
冷えに悩む人もけっこういます。
でも、考えてみたら、
私たちが立っているのは、
オフィスのフロアや、コンクリートの道、電車の床の上。
土の上にいる時間がほとんどなくなってしまいました。
冷え性に悩む人が増えるのはしょうがないことかもしれません。
私たちは、少し、土から離れすぎているのかもしれません。
かといって、その生活を大きく変えることが難しいのも事実です。
じゃあ、どうしたらいいのか?
”できることから”
それしかないような気がします。
”できることをしよう”という意識があるかないか、
それってけっこう大きいです。
私たちは木だから、
土の上でないと生きていけないのです。
土がないと生きていけないのです。
そして、”根”は、
見えないけれど、土の中に張っているのです。
それは、土にはエネルギーがあるということです。
畑に立っていると、
足の裏からじんじん、じんじんと感じるのです。
地熱というものかもしれないけど、
太陽のエネルギーが土にしみこんで、
そのエネルギーが足からのぼってくる感覚がありました。
その話を農家の方にすると、
「へぇ~~~。」
といわれました。
「太陽のエネルギーはいつも感じていたけど、
”土から”っていうのは意識したことなかったなぁ・・」と。
毎日土の上にいるから気づかないだけかもしれません。
そのせいか、冷え性の私の足がぽかぽかしています。
あったかい陽気のせいもありますが、
以前はあったかな日でも冷たかった私の足が、
ぽかぽかしているのです。
”冷えは万病の元”といいます。
冷えが原因となっていることは、けっこうあります。
冷えに悩む人もけっこういます。
でも、考えてみたら、
私たちが立っているのは、
オフィスのフロアや、コンクリートの道、電車の床の上。
土の上にいる時間がほとんどなくなってしまいました。
冷え性に悩む人が増えるのはしょうがないことかもしれません。
私たちは、少し、土から離れすぎているのかもしれません。
かといって、その生活を大きく変えることが難しいのも事実です。
じゃあ、どうしたらいいのか?
”できることから”
それしかないような気がします。
”できることをしよう”という意識があるかないか、
それってけっこう大きいです。
私たちは木だから、
土の上でないと生きていけないのです。
土がないと生きていけないのです。
そして、”根”は、
見えないけれど、土の中に張っているのです。
2010年05月21日
根から
先日のお手伝いで、ニンジンの畑にも行きました。
ニンジンは発芽するのが難しいといわれています。
確か昨年ニンジンの種を蒔いたときは、
発芽したのが2割くらいでした。
さまざまな条件が重なってそういう残念な結果になってしまったのですが、
「ここまで発芽しないと笑うしかないね~」と言いつつ、
やっぱり、がっくし。。。
今回のニンジンの畑に行くと、ずいぶんたくさん発芽していました。
「すごーい!」と思って近くに行くと、
ニンジン以外の草もずいぶん発芽?(苦笑)。
ニンジンだけでなく、いわゆる”雑草”というのも生えてきてしまいます。
同じ命だからそのままにしてあげたいけれど、
そうもいかないのです。。
その雑草を抜いてあげないと、栄養をそちらにとられて、
ニンジンがうまく生育しないんだそうです。
やっと発芽したニンジンを応援するため、
思わず手が草むしりを始めていました。
無心になって、ぷちぷちと雑草を抜いていると、
「根だね。根だね。そうだね。根だね。」
と思わずつぶやいてしまいました(笑)。
根から抜いてあげないと、意味がないのです。
「根本から断つ必要があります」
「根本的な解決策を考えましょう」
そんな言葉をよく聞くけれど、
”根から断つ”というのは、こういうことだよね。
と、思いました。
表面的に取り除くのではだめなのです。
根から取り除かなければ意味がないのです。
そして、思いました。
本当に必要なのは、こういうことだと。
ニンジン自体に何かすることではなく、
ニンジンの生長を阻害する要因を根から取り除いてあげること。
そして、ニンジンが自分の力を発揮できるようにしてあげること。
環境をつくってあげること。
環境を守ってあげること。
それが大事なのです。
そして、私がお世話になっている「榛名”心根”協働農園」さん。
「心根」は、「ココロね」と読みます。
”ココロ”の”根”です。
初めて畑に伺った際に、
誰が農園の名前を考えたんですか?と聞くと、
「おれです。いい名前でしょ~」
と、園主の紋谷さんが、
とても嬉しそうな顔でおっしゃっていました。
なぜ”心根”とつけたのか問うと、
「人間も植物も、心の根っこの部分が大事だから」
と、少しはにかみながらも、きらきらと輝く眼をして、
少年のような顔でおっしゃっていました(笑)。
その真っ直ぐな瞳がとても眩しかったのです。
汗をかき、泥だらけになりながら、
心の根っこを大事にしたいという紋谷さんにお会いして、
この人の作った野菜を料理したい、
この人の作った野菜を食べたいと思いました。
根がしっかりして、想いが詰まった野菜は、
カラダにもココロにも、きっとおいしいと思ったのです。
そして、それ以来、
とちの実でも、とちの木でも、使わせていただいています。
食べてみて、やっぱりおいしいです(笑)。
根っこは大事です。
根っこからが大事です。
ニンジンは発芽するのが難しいといわれています。
確か昨年ニンジンの種を蒔いたときは、
発芽したのが2割くらいでした。
さまざまな条件が重なってそういう残念な結果になってしまったのですが、
「ここまで発芽しないと笑うしかないね~」と言いつつ、
やっぱり、がっくし。。。
今回のニンジンの畑に行くと、ずいぶんたくさん発芽していました。
「すごーい!」と思って近くに行くと、
ニンジン以外の草もずいぶん発芽?(苦笑)。
ニンジンだけでなく、いわゆる”雑草”というのも生えてきてしまいます。
同じ命だからそのままにしてあげたいけれど、
そうもいかないのです。。
その雑草を抜いてあげないと、栄養をそちらにとられて、
ニンジンがうまく生育しないんだそうです。
やっと発芽したニンジンを応援するため、
思わず手が草むしりを始めていました。
無心になって、ぷちぷちと雑草を抜いていると、
「根だね。根だね。そうだね。根だね。」
と思わずつぶやいてしまいました(笑)。
根から抜いてあげないと、意味がないのです。
「根本から断つ必要があります」
「根本的な解決策を考えましょう」
そんな言葉をよく聞くけれど、
”根から断つ”というのは、こういうことだよね。
と、思いました。
表面的に取り除くのではだめなのです。
根から取り除かなければ意味がないのです。
そして、思いました。
本当に必要なのは、こういうことだと。
ニンジン自体に何かすることではなく、
ニンジンの生長を阻害する要因を根から取り除いてあげること。
そして、ニンジンが自分の力を発揮できるようにしてあげること。
環境をつくってあげること。
環境を守ってあげること。
それが大事なのです。
そして、私がお世話になっている「榛名”心根”協働農園」さん。
「心根」は、「ココロね」と読みます。
”ココロ”の”根”です。
初めて畑に伺った際に、
誰が農園の名前を考えたんですか?と聞くと、
「おれです。いい名前でしょ~」
と、園主の紋谷さんが、
とても嬉しそうな顔でおっしゃっていました。
なぜ”心根”とつけたのか問うと、
「人間も植物も、心の根っこの部分が大事だから」
と、少しはにかみながらも、きらきらと輝く眼をして、
少年のような顔でおっしゃっていました(笑)。
その真っ直ぐな瞳がとても眩しかったのです。
汗をかき、泥だらけになりながら、
心の根っこを大事にしたいという紋谷さんにお会いして、
この人の作った野菜を料理したい、
この人の作った野菜を食べたいと思いました。
根がしっかりして、想いが詰まった野菜は、
カラダにもココロにも、きっとおいしいと思ったのです。
そして、それ以来、
とちの実でも、とちの木でも、使わせていただいています。
食べてみて、やっぱりおいしいです(笑)。
根っこは大事です。
根っこからが大事です。
2010年05月20日
かぼちゃの定植
先日、農家さんのお手伝いに行ってきました。
これは、かぼちゃの定植をした写真です。
普通のかぼちゃのほかに、
白いかぼちゃとか、坊ちゃんかぼちゃ(小さいやつ)とか、
いくつかの種類の苗を植えたのですが、
1つ、「甲田かぼちゃ」という、
怪しい名前の札がささっているかぼちゃも植えました。
大丈夫かな。。。(笑)
野菜って、ただ単純に、
種を蒔けばできると思っていたけど、
そんな簡単なことではないんだと知りました。
始めに、「定植をした」と一行で書きましたが、
この一行にたどり着くまでにも、
そしてこの一行の工程にも、
実はたくさんの作業が発生したりしています。
無農薬栽培なので、その分余計に手間がかかります。
種を蒔いて、それがやっとこさ発芽して、
その発芽したちいさなちーさな芽を、
大切に大切に育てて苗にして、
その苗を畑に移して、
それが大地に根を張って、
きちんと生育して、
それからそれから、実がなるのです。
そして、食べることができるのです。
すべての苗を畑に植え替えて、
「がんばれよー」とひと声かけて、
かぼちゃの定植の作業、終了です。
このところ雨が降らず地面が乾いていたのですが、
昨日の恵みの雨のおかげで、根付くことができたかな。。
私が植え替えたやつだけ実がならなかったらどうしよう。。とちょっと不安ですが、
あとはおいしいかぼちゃができますようにと祈るだけです。
そのあと、他にもいろいろ苗を見せてもらったのですが、
食べるときの野菜の形しか知らない私は、
小さな小さな苗を見て、
「これはトマト」
「これはきゅうり」
「これはアスパラガス」
とさらさら説明する農家さんに、
「へ~っ!」と感心してしまいました。
田植えをする予定の田んぼにカエルがいました。
けのび状態で浮かんでいて、
それがなんとも気持ちよさそうで、
ついつい見入ってしまいました。
相変わらず写真を撮るのは下手ですが、
カエルの無防備にゆらりと浮かぶ姿に
ココロを動かされた私の気持ちを
わかっていただけたら幸いです(苦笑)。
これは、かぼちゃの定植をした写真です。
普通のかぼちゃのほかに、
白いかぼちゃとか、坊ちゃんかぼちゃ(小さいやつ)とか、
いくつかの種類の苗を植えたのですが、
1つ、「甲田かぼちゃ」という、
怪しい名前の札がささっているかぼちゃも植えました。
大丈夫かな。。。(笑)
野菜って、ただ単純に、
種を蒔けばできると思っていたけど、
そんな簡単なことではないんだと知りました。
始めに、「定植をした」と一行で書きましたが、
この一行にたどり着くまでにも、
そしてこの一行の工程にも、
実はたくさんの作業が発生したりしています。
無農薬栽培なので、その分余計に手間がかかります。
種を蒔いて、それがやっとこさ発芽して、
その発芽したちいさなちーさな芽を、
大切に大切に育てて苗にして、
その苗を畑に移して、
それが大地に根を張って、
きちんと生育して、
それからそれから、実がなるのです。
そして、食べることができるのです。
すべての苗を畑に植え替えて、
「がんばれよー」とひと声かけて、
かぼちゃの定植の作業、終了です。
このところ雨が降らず地面が乾いていたのですが、
昨日の恵みの雨のおかげで、根付くことができたかな。。
私が植え替えたやつだけ実がならなかったらどうしよう。。とちょっと不安ですが、
あとはおいしいかぼちゃができますようにと祈るだけです。
そのあと、他にもいろいろ苗を見せてもらったのですが、
食べるときの野菜の形しか知らない私は、
小さな小さな苗を見て、
「これはトマト」
「これはきゅうり」
「これはアスパラガス」
とさらさら説明する農家さんに、
「へ~っ!」と感心してしまいました。
田植えをする予定の田んぼにカエルがいました。
けのび状態で浮かんでいて、
それがなんとも気持ちよさそうで、
ついつい見入ってしまいました。
相変わらず写真を撮るのは下手ですが、
カエルの無防備にゆらりと浮かぶ姿に
ココロを動かされた私の気持ちを
わかっていただけたら幸いです(苦笑)。
2010年05月19日
2ヶ月。。
ブログをはじめて、2ヶ月が経ちました。
パソコンの向こうにいるみなさん、
いつも見てくださってどうもありがとうございます。
いろいろとご意見・ご要望なんかもあるやもしれませぬが、
温かく見守ってくださり、お付き合いくださっていること、
感謝申し上げます。
そして、自分のブログ画面を改めて見てみると、
自分の傾向というか性癖のようなものが見えてきます。
記事の分類をしている「カテゴリ」を見てみると、
”徒然なもの”が圧倒的に首位を獲得しているのです。
自分としては、
「やっぱりね」
というのが正直なところですが(笑)。
ブログをはじめた当初は、
もっと商品のこととか、お店の紹介とか、料理の作り方とか、
野菜のこととか、知ってもらいたいことを載せていくつもりでした。
でも、いざ毎日パソコンに向かってみると、
そういう表面的なことよりも、
自分自身の内面的なものが出てきてしまうようです。。。
ただ、「自然」ということに関しては、
”忠実”でいられていると思います。
なぜなら、
自然な流れで、
自然なカタチで、
そして、
自然な自分で、
書けているからです。
以前にも書いたかもしれませんが、
「自分」という字は、「自然の分身」の略です。
書くときの私は、間違いなく”自然の分身である”と、
つまり、まさに”自然な私である”と言える気がします。
自分、自分と、
自分を中心に、自分のことばかり書いてきましたが、
なぜ”自然な自分”であることにこだわるのかと考えてみると、
やっぱり、本当の意味での”他者とのつながり”を求めているんだろうと思います。
深いところでの、”他者とのつながり”を求めているんだろうと思います。
”本当”も”嘘”もないのですが、
”本当の自分”でなければ、
”本当の他者”と出会えないと思うからです。
自然の一部である人間は、自然がなければ生きていけません。
それは同時に、
自分と同じように自然の一部である他者とのつながりなくしては、
生きていけないということです。
”自分”と”自然”と”他者”と。
それら全部が、一直線上にあること。
”自分”と”自然”と”他者”と。
それら全部は、この大地に立っていること。
そのつながりが、必要なんだと思います。
そのつながりがあるのが、一番自然なことなんだろうと思います。
そんなわけで、
これからも、
自然とともに、みなさまとともに、
歩んでいきたいと思う次第です(笑)。
今後とも、
どうぞよろしくお願いいたします。
パソコンの向こうにいるみなさん、
いつも見てくださってどうもありがとうございます。
いろいろとご意見・ご要望なんかもあるやもしれませぬが、
温かく見守ってくださり、お付き合いくださっていること、
感謝申し上げます。
そして、自分のブログ画面を改めて見てみると、
自分の傾向というか性癖のようなものが見えてきます。
記事の分類をしている「カテゴリ」を見てみると、
”徒然なもの”が圧倒的に首位を獲得しているのです。
自分としては、
「やっぱりね」
というのが正直なところですが(笑)。
ブログをはじめた当初は、
もっと商品のこととか、お店の紹介とか、料理の作り方とか、
野菜のこととか、知ってもらいたいことを載せていくつもりでした。
でも、いざ毎日パソコンに向かってみると、
そういう表面的なことよりも、
自分自身の内面的なものが出てきてしまうようです。。。
ただ、「自然」ということに関しては、
”忠実”でいられていると思います。
なぜなら、
自然な流れで、
自然なカタチで、
そして、
自然な自分で、
書けているからです。
以前にも書いたかもしれませんが、
「自分」という字は、「自然の分身」の略です。
書くときの私は、間違いなく”自然の分身である”と、
つまり、まさに”自然な私である”と言える気がします。
自分、自分と、
自分を中心に、自分のことばかり書いてきましたが、
なぜ”自然な自分”であることにこだわるのかと考えてみると、
やっぱり、本当の意味での”他者とのつながり”を求めているんだろうと思います。
深いところでの、”他者とのつながり”を求めているんだろうと思います。
”本当”も”嘘”もないのですが、
”本当の自分”でなければ、
”本当の他者”と出会えないと思うからです。
自然の一部である人間は、自然がなければ生きていけません。
それは同時に、
自分と同じように自然の一部である他者とのつながりなくしては、
生きていけないということです。
”自分”と”自然”と”他者”と。
それら全部が、一直線上にあること。
”自分”と”自然”と”他者”と。
それら全部は、この大地に立っていること。
そのつながりが、必要なんだと思います。
そのつながりがあるのが、一番自然なことなんだろうと思います。
そんなわけで、
これからも、
自然とともに、みなさまとともに、
歩んでいきたいと思う次第です(笑)。
今後とも、
どうぞよろしくお願いいたします。
2010年05月18日
連休のお知らせ
やってきました〜。
月に一度の連休です(笑)。
当日掲載で申し訳ありませんが、今週は第3週目。
第3火曜日定休ということで、
昨日に引き続きお休みをさせていただきます。
そして、昨日の記事に載せた原稿は、無事提出することができました。
持っていったら、「写真も載せよう」といわれ、
「いや〜(照)」と、
恥ずかしいので、軽く、遠まわしに、拒否したのですが、
伝わらなかったようです。
「水着じゃなくていいから」と言われました(苦笑)。
まぁ、出しても減るもんじゃないので、
どうせだったら、脱がせていただきます(笑)。
ということで、私の写真入りで、掲載される予定です。
6月中旬ごろとのことです。
そういえば、もう5月も下旬。
夏野菜の準備と田植えの準備で
農家さんは忙しい時期です。
なので、今日は、
いつもお世話なっている榛名心根農園さんの
お手伝いに行ってきます。
愛用の麦わら帽子と長靴履いて、
いざ出陣。
月に一度の連休です(笑)。
当日掲載で申し訳ありませんが、今週は第3週目。
第3火曜日定休ということで、
昨日に引き続きお休みをさせていただきます。
そして、昨日の記事に載せた原稿は、無事提出することができました。
持っていったら、「写真も載せよう」といわれ、
「いや〜(照)」と、
恥ずかしいので、軽く、遠まわしに、拒否したのですが、
伝わらなかったようです。
「水着じゃなくていいから」と言われました(苦笑)。
まぁ、出しても減るもんじゃないので、
どうせだったら、脱がせていただきます(笑)。
ということで、私の写真入りで、掲載される予定です。
6月中旬ごろとのことです。
そういえば、もう5月も下旬。
夏野菜の準備と田植えの準備で
農家さんは忙しい時期です。
なので、今日は、
いつもお世話なっている榛名心根農園さんの
お手伝いに行ってきます。
愛用の麦わら帽子と長靴履いて、
いざ出陣。
2010年05月17日
執筆中。
『中医研だより』の原稿を依頼され、執筆中です。
ちょっと煮詰まってます。。
ブログだとさらさら書けるのに。。
日々の流れの中で”線”として書いていくのと、
限られたスペースで”点”として表現するのは、
ちょっと違います。
ちなみに、『中医研だより』とは、
”中医研”というところが発行している”便り”です。
「”中医研”というところはどんなところですか?」
と聞かれたら、
どう答えたらいいのかわからないのですが、
私が群馬に戻って活動する中で、
大変お世話になっているところです。
以前ブログで紹介した、
オーガニックな野菜や食材を置いている「もりのね」さんはここにありますし、
私が出店している「ふれあい朝市」もここで開催されています。
あと、今年の3月からほんの少しだけお手伝いしている「子ども自然農園」の活動も、
ここが起点であり、基点になっています。
群馬に戻ってから、何かと足を運び、何かと関わりのあるところです。
通うようになって感じたのは、
ここは単なる医療機関ではないこと。
事務局の方が、
「われわれは、人の不幸でお金をいただいてる。
われわれの仕事がなくなるような活動をしなくてはいけない」
とおっしゃっていました。
ここで働く薬剤師さんに、
「僕の仕事がなくなるように頑張りましょう!」
といわれました。
私たちが直面し、抱える問題(病気を含め)の多くが、
私たちの”自然と離れた暮らし”に起因していること、
その中でも、「食」に大きな関係があることを
実感されているからこその言葉だと思います。
よくある対処療法ではなく、
その苦しみの根本を絶つためにはどうしたらいいのかと
真剣に考え、向き合い、取り組んでいる場所だと思います。
そして、そういう人たちが集まってくるところだと思います。
そんな方たちが発行している印刷物に文章を載せることになり、
私が感じているあらゆることを書いていい、と言われ。。
む、むずかしい。。。
「難しく考えず、素直に書けばいいんだ」と思うのですが、
書きたいことがたくさんありすぎて、何を書いたらいいものか。
というわけで、煮詰まってます(苦笑)。
でも、きっと、表現したいことはひとつなんですけどね。
来月くらい?に発行されると思いますので、
入手可能な方は、私の力作を、いや、苦心の作をご覧ください(笑)。
多分、すごくマジメに書いていると思います。
根はマジメなので(笑)。
ちょっと煮詰まってます。。
ブログだとさらさら書けるのに。。
日々の流れの中で”線”として書いていくのと、
限られたスペースで”点”として表現するのは、
ちょっと違います。
ちなみに、『中医研だより』とは、
”中医研”というところが発行している”便り”です。
「”中医研”というところはどんなところですか?」
と聞かれたら、
どう答えたらいいのかわからないのですが、
私が群馬に戻って活動する中で、
大変お世話になっているところです。
以前ブログで紹介した、
オーガニックな野菜や食材を置いている「もりのね」さんはここにありますし、
私が出店している「ふれあい朝市」もここで開催されています。
あと、今年の3月からほんの少しだけお手伝いしている「子ども自然農園」の活動も、
ここが起点であり、基点になっています。
群馬に戻ってから、何かと足を運び、何かと関わりのあるところです。
通うようになって感じたのは、
ここは単なる医療機関ではないこと。
事務局の方が、
「われわれは、人の不幸でお金をいただいてる。
われわれの仕事がなくなるような活動をしなくてはいけない」
とおっしゃっていました。
ここで働く薬剤師さんに、
「僕の仕事がなくなるように頑張りましょう!」
といわれました。
私たちが直面し、抱える問題(病気を含め)の多くが、
私たちの”自然と離れた暮らし”に起因していること、
その中でも、「食」に大きな関係があることを
実感されているからこその言葉だと思います。
よくある対処療法ではなく、
その苦しみの根本を絶つためにはどうしたらいいのかと
真剣に考え、向き合い、取り組んでいる場所だと思います。
そして、そういう人たちが集まってくるところだと思います。
そんな方たちが発行している印刷物に文章を載せることになり、
私が感じているあらゆることを書いていい、と言われ。。
む、むずかしい。。。
「難しく考えず、素直に書けばいいんだ」と思うのですが、
書きたいことがたくさんありすぎて、何を書いたらいいものか。
というわけで、煮詰まってます(苦笑)。
でも、きっと、表現したいことはひとつなんですけどね。
来月くらい?に発行されると思いますので、
入手可能な方は、私の力作を、いや、苦心の作をご覧ください(笑)。
多分、すごくマジメに書いていると思います。
根はマジメなので(笑)。
2010年05月16日
構図。
修行時代、時間があると図書館に行っていました。
その図書館で美術の本をぱらぱらと見ていた時のことです。
一枚、吸い寄せられるような感覚になった絵がありました。
私は美術館には滅多に行かないし、
もちろん”エゴコロ”なんてないし、
筆のタッチがどうとか、印象派がどうとか、
専門的なことはよくわかりません。
ただ、なんだか吸い寄せられるような感覚があったのです。
その絵は、ミレーの「落穂ひろい」です。
学生の頃、美術の教科書で見たときとは、
違った印象で私の中に入ってきました。
そこについていた解説を読むと、
「”落穂拾い”は、農民の中でも最も貧しい、最下層の者がやることだった。
絵のメインになる収穫する人を遥か遠景に後退させ、
身を屈めて”落穂拾い”をする3人の女性を前に持ってきたときに、
画面の意味内容とか暗示効果に大きな変化が生じた」
とありました。
この文章を読んだとき、なんだか、ぞくぞくわくわくしたのです。
何を前にして何を後ろにするか、
つまり、”構図”のとり方によって、
与える影響や効果が大きく変わってくるということに、
ぞくぞくわくわくしたのです。
世の中にはたくさんの人がいて、
同じもの、同じ画面というか同じ場面、同じ時代というか同じ環境にいて、
同じように生きているわけだけれども、
その”構図”をどうとるかによって、
結果が大きく変わってくるということ。
つまり、”どう生きるか”によって、
未来に与える影響が大きく違ってくるんじゃないかという感じがしたのです。
「視点」というものや、
「編集」というものにも近いかもしれないけれど、
その時代をどう捉え、どう表現していくか、
何に目を向け、何に重きをおいて、何をとりあげて、どう行動していくか。
それによって、”未来”という結果は大きく変わってくるんじゃないか、と。
㈱アグリィさんが発行している「アグレコ」という農と環境マガジンのメール版に、
沖縄の基地問題が例に取り上げられていて、
”これからは声のあげ方が大事になってくるんじゃないか”
というようなことが書いてありました。
珍しくマジメなことが書いてあるな(笑)と、
ふむふむと読んだのですが、
本当にそうだと思います。
ただ声をあげるのでは変わらないのです。
大事なのは、どう構図をとり、どう動いていくか。
本当の意味で”伝わり”、
実際に”結果”として出していくには、
自己満足ではだめなのです。
そういえば、
鈴木酒店さんでよく買う
「有機農法ビール」のパッケージの絵は、
「落穂拾い」の絵です。
やっぱり私は、お酒のほうに
つながっていってしまうのですが(笑)。。。
このビールを飲むと、
「構図とはなんぞや」、
「いかに生くべきか」などと、
殊勝なことをついつい考えてしまう私なのでした。
その図書館で美術の本をぱらぱらと見ていた時のことです。
一枚、吸い寄せられるような感覚になった絵がありました。
私は美術館には滅多に行かないし、
もちろん”エゴコロ”なんてないし、
筆のタッチがどうとか、印象派がどうとか、
専門的なことはよくわかりません。
ただ、なんだか吸い寄せられるような感覚があったのです。
その絵は、ミレーの「落穂ひろい」です。
学生の頃、美術の教科書で見たときとは、
違った印象で私の中に入ってきました。
そこについていた解説を読むと、
「”落穂拾い”は、農民の中でも最も貧しい、最下層の者がやることだった。
絵のメインになる収穫する人を遥か遠景に後退させ、
身を屈めて”落穂拾い”をする3人の女性を前に持ってきたときに、
画面の意味内容とか暗示効果に大きな変化が生じた」
とありました。
この文章を読んだとき、なんだか、ぞくぞくわくわくしたのです。
何を前にして何を後ろにするか、
つまり、”構図”のとり方によって、
与える影響や効果が大きく変わってくるということに、
ぞくぞくわくわくしたのです。
世の中にはたくさんの人がいて、
同じもの、同じ画面というか同じ場面、同じ時代というか同じ環境にいて、
同じように生きているわけだけれども、
その”構図”をどうとるかによって、
結果が大きく変わってくるということ。
つまり、”どう生きるか”によって、
未来に与える影響が大きく違ってくるんじゃないかという感じがしたのです。
「視点」というものや、
「編集」というものにも近いかもしれないけれど、
その時代をどう捉え、どう表現していくか、
何に目を向け、何に重きをおいて、何をとりあげて、どう行動していくか。
それによって、”未来”という結果は大きく変わってくるんじゃないか、と。
㈱アグリィさんが発行している「アグレコ」という農と環境マガジンのメール版に、
沖縄の基地問題が例に取り上げられていて、
”これからは声のあげ方が大事になってくるんじゃないか”
というようなことが書いてありました。
珍しくマジメなことが書いてあるな(笑)と、
ふむふむと読んだのですが、
本当にそうだと思います。
ただ声をあげるのでは変わらないのです。
大事なのは、どう構図をとり、どう動いていくか。
本当の意味で”伝わり”、
実際に”結果”として出していくには、
自己満足ではだめなのです。
そういえば、
鈴木酒店さんでよく買う
「有機農法ビール」のパッケージの絵は、
「落穂拾い」の絵です。
やっぱり私は、お酒のほうに
つながっていってしまうのですが(笑)。。。
このビールを飲むと、
「構図とはなんぞや」、
「いかに生くべきか」などと、
殊勝なことをついつい考えてしまう私なのでした。
2010年05月15日
お墓参り
昨日の午後、仕入れに出かけた際に、
ふと思い立ってお墓に行きました。
小さいころは、「お墓」って、なんだか怖いところで、
お化けがでるんじゃないかとか、ひのたまを見るんじゃないかとか、
おっかなびっくり行ったところでしたが、
最近は気軽に(?)行けるようになりました。
昨年、群馬に戻ってきたときに、
「戻ってきたよ。がんばるよ」と、
お墓に報告に行きました。
その時に、
自分のココロが空に向かってひゅーーんと突き抜けて、
しーーーんと静まるような感覚があって、
なんだかとても安らぐというか、落ち着く感じがありました。
それ以来、
ふとお墓に行きたくなるときがあって、
時々立ち寄っています。
昨日行くと、しばらく行ってなかったので、
お墓のところにずいぶん雑草が生えていました。
隅のところにゴミが溜まってたりして。。。
「あらら」と思って、すぐにきれいにしました。
そのせいかどうかわかりませんが、
このところ少し胸が痛んで、調子がいまいちだったのですが、
帰るときにはその胸の痛みがとれていました。
お墓の前で思いっきり伸びをして、
深呼吸をして、
そうするとなぜか少し涙が出てきて、
ずいぶんココロがすっきりしました。
このところずっと疾走している感じだったので、
おじいちゃんとおばあちゃんや、ご先祖様が、
「一息入れなね~」
と呼んでくれたのかなと思いました。
忙しい、忙しいとついつい日々のことに追われてしまいますが、
時には、ココロを鎮めて、”無”になることも必要だなと思いました。
今日は、仏壇の掃除をしようかな。。。
ふと思い立ってお墓に行きました。
小さいころは、「お墓」って、なんだか怖いところで、
お化けがでるんじゃないかとか、ひのたまを見るんじゃないかとか、
おっかなびっくり行ったところでしたが、
最近は気軽に(?)行けるようになりました。
昨年、群馬に戻ってきたときに、
「戻ってきたよ。がんばるよ」と、
お墓に報告に行きました。
その時に、
自分のココロが空に向かってひゅーーんと突き抜けて、
しーーーんと静まるような感覚があって、
なんだかとても安らぐというか、落ち着く感じがありました。
それ以来、
ふとお墓に行きたくなるときがあって、
時々立ち寄っています。
昨日行くと、しばらく行ってなかったので、
お墓のところにずいぶん雑草が生えていました。
隅のところにゴミが溜まってたりして。。。
「あらら」と思って、すぐにきれいにしました。
そのせいかどうかわかりませんが、
このところ少し胸が痛んで、調子がいまいちだったのですが、
帰るときにはその胸の痛みがとれていました。
お墓の前で思いっきり伸びをして、
深呼吸をして、
そうするとなぜか少し涙が出てきて、
ずいぶんココロがすっきりしました。
このところずっと疾走している感じだったので、
おじいちゃんとおばあちゃんや、ご先祖様が、
「一息入れなね~」
と呼んでくれたのかなと思いました。
忙しい、忙しいとついつい日々のことに追われてしまいますが、
時には、ココロを鎮めて、”無”になることも必要だなと思いました。
今日は、仏壇の掃除をしようかな。。。
2010年05月14日
ジャムおじさん
昨日、アンパンマンの歌について書きました。
この歌を口ずさむようになってから、
そういえば、どうやってアンパンマンは生まれたのだろう
と思うようになり、調べたことがあります。
知っている方もいるかもしれませんが、
知らない方もいらっしゃると思うので、
簡単に載せておきます。
ジャムおじさんが、せっせとパン作りに励んでいました。
でも、なかなか思ったようなパンが焼けない。。
ジャムおじさんが作りたいのは、
「ココロをもったアンパン」なのです。
「ココロをもったアンパン」を作るために、
夜までパンを焼き続けます。
そうすると、パン工場の煙突の中に流れ星が降ってきました。
ピカピカピカーン☆と釜が光って、
「何事か!」と思ってかまどを開けてみると、
中には赤ちゃんが。。。
「ぼく、アンパンマンでちゅ」
とアンパンマンが生まれてきたのです。
アニメの世界なので(笑)。
本当にココロを持ったアンパン、
というかアンパンの顔を持った人間?ができたのです。
すごいことです(笑)。
そして、そのアンパンの顔を持った人間が、
困った人を助けて回るのです。
これまたすごいことです。
でも、何がすごいかって、やっぱり、ジャムおじさんがすごいのです。
ジャムおじさんの”想い”がすごいのです。
「ココロをもったアンパンを作りたい」という、”想い”がすごいのです。
そういった角度で『アンパンマン』を見ていると、
”モノづくり”をしている人の、
共通の想いを乗せた素晴らしいアニメに見えてきます。
モノをつくるということの本当の意味。
モノをつくるということは、その人の想いであり、願いであるということ。
作られたモノは、その人自身であること。
アンパンマンもすごいけれど、
アンパンマンを作ったジャムおじさんはもっとすごい。
そして、それをサポートしているバタ子さんもすごいと、
アニメだとわかっていながらも、妙に感心してしまうのでした。
もちろん、『アンパンマン』の作者である
やなせたかしさんが本当は一番すごいんですけど。。。
この歌を口ずさむようになってから、
そういえば、どうやってアンパンマンは生まれたのだろう
と思うようになり、調べたことがあります。
知っている方もいるかもしれませんが、
知らない方もいらっしゃると思うので、
簡単に載せておきます。
ジャムおじさんが、せっせとパン作りに励んでいました。
でも、なかなか思ったようなパンが焼けない。。
ジャムおじさんが作りたいのは、
「ココロをもったアンパン」なのです。
「ココロをもったアンパン」を作るために、
夜までパンを焼き続けます。
そうすると、パン工場の煙突の中に流れ星が降ってきました。
ピカピカピカーン☆と釜が光って、
「何事か!」と思ってかまどを開けてみると、
中には赤ちゃんが。。。
「ぼく、アンパンマンでちゅ」
とアンパンマンが生まれてきたのです。
アニメの世界なので(笑)。
本当にココロを持ったアンパン、
というかアンパンの顔を持った人間?ができたのです。
すごいことです(笑)。
そして、そのアンパンの顔を持った人間が、
困った人を助けて回るのです。
これまたすごいことです。
でも、何がすごいかって、やっぱり、ジャムおじさんがすごいのです。
ジャムおじさんの”想い”がすごいのです。
「ココロをもったアンパンを作りたい」という、”想い”がすごいのです。
そういった角度で『アンパンマン』を見ていると、
”モノづくり”をしている人の、
共通の想いを乗せた素晴らしいアニメに見えてきます。
モノをつくるということの本当の意味。
モノをつくるということは、その人の想いであり、願いであるということ。
作られたモノは、その人自身であること。
アンパンマンもすごいけれど、
アンパンマンを作ったジャムおじさんはもっとすごい。
そして、それをサポートしているバタ子さんもすごいと、
アニメだとわかっていながらも、妙に感心してしまうのでした。
もちろん、『アンパンマン』の作者である
やなせたかしさんが本当は一番すごいんですけど。。。
2010年05月13日
佐藤さんを囲む会
今日、突然の「ゆいの家」の高石さんがとちの木に見えました。
高石さんのお名前だけは知っていたのですが、
お会いしたことはありませんでした。
でも、お店にお見えになった雰囲気で、なんとなく高石さんかな?と思ったら、
やっぱりそうでした(笑)。
明日、土屋文明記念館で講演をされる、”佐藤剛史さんを囲む会”をされると
わざわざお知らせに来てくださったのです。
特に予約もなかったので、
両親にお願いして行かせてもらいました。
写真がなくて申し訳ないのですが、
たくさんの山菜料理、白和え、お赤飯、竹の子ごはんなどなど。
おなかいっぱい食べました(笑)。
そして、いろんな人のお話を聞くことができて勉強になりました。
やっぱり”想い”が大事だよね、という話になりました。
頑張っている人がたくさんいるんだと知りました。
私も頑張ろうと思いました。
そして、明日、土屋文明記念館で佐藤剛史さんの講演があります。
10時~12時だそうで、その後は希望者の方で
「ゆいの家」さんで懇親会が行われるそうです。
(詳しいことは、「ゆいの家」さんのブログをご覧ください。。)
私は仕事があっていけないのですが、
興味のある方はぜひいってみてください。
高石さんのお名前だけは知っていたのですが、
お会いしたことはありませんでした。
でも、お店にお見えになった雰囲気で、なんとなく高石さんかな?と思ったら、
やっぱりそうでした(笑)。
明日、土屋文明記念館で講演をされる、”佐藤剛史さんを囲む会”をされると
わざわざお知らせに来てくださったのです。
特に予約もなかったので、
両親にお願いして行かせてもらいました。
写真がなくて申し訳ないのですが、
たくさんの山菜料理、白和え、お赤飯、竹の子ごはんなどなど。
おなかいっぱい食べました(笑)。
そして、いろんな人のお話を聞くことができて勉強になりました。
やっぱり”想い”が大事だよね、という話になりました。
頑張っている人がたくさんいるんだと知りました。
私も頑張ろうと思いました。
そして、明日、土屋文明記念館で佐藤剛史さんの講演があります。
10時~12時だそうで、その後は希望者の方で
「ゆいの家」さんで懇親会が行われるそうです。
(詳しいことは、「ゆいの家」さんのブログをご覧ください。。)
私は仕事があっていけないのですが、
興味のある方はぜひいってみてください。
2010年05月13日
アンパンマンのうた
今日は、風が強くて少し肌寒いです。
そんな日は、風に負けないように、大きな声で歌を歌いたくなります(笑)。
好きな歌はなんですか?と聞かれたら、
頭に浮かぶ歌が2曲あります。
そのうちの1曲は、「アンパンマンのマーチ」です。
歌詞の一部を抜粋します。
”何のために生まれて
何をして生きるのか
答えられないなんて
そんなのは嫌だ!”
”何が君のしあわせ
何をして喜ぶ
わからないまま終わる
そんなのは嫌だ!”
私が病んでいたときに、
友人から届いた手紙に書いてあった歌詞です。
改めて読むと、深い歌詞です。
自分が何のために生きているのか。
何をしたいと、何をしようと思って生きているのか。
自分にとって何がシアワセで、何が喜びなのか。
それがわからないのは、
”悪い”とか”間違ってる”とかじゃなくて、
”嫌(イヤ)”なことだということ。
他人から見てどうこうじゃなくて、
わからない自分が、
わからないまま生きていく自分が、
”嫌”なんだということ。
すごく納得できる歌詞です。
アンパンマンは、困っている人を助けるために、
自分の顔を差し出します。
ジャムおじさんの作ってくれた、
アンパンでできた自分の顔をあげるのです。
まさに、自分の身を削って、人を助けるのです。
それって、けっこうすごいことです。
なぜそんなことができるのか?
それは、またアンパンを作ってくれる人がいるから。
必ずまた作ってくれる人がいるという、
絶対的な安心感があるからだと思います。
”絶対的な安心感”
それって、すごい大きいことじゃないでしょうか。。。
帰る場所があるから、
何があっても受け止めてくれる場所があるから、
絶対的に守ってくれる人がいるから、
思いっきり戦うことができるのです。
そして、最後に。
”あ、あ、アンパンマンやさしい君は
行け!みんなの夢守るため”
おいしいアンパンは、
自分のためだけじゃなくて、
みんなのためにもあるのです。
きっと、
おいしいものは、
みんなのためにあるのです(笑)。
みんなの夢を守るためにあるのです。
そんな日は、風に負けないように、大きな声で歌を歌いたくなります(笑)。
好きな歌はなんですか?と聞かれたら、
頭に浮かぶ歌が2曲あります。
そのうちの1曲は、「アンパンマンのマーチ」です。
歌詞の一部を抜粋します。
”何のために生まれて
何をして生きるのか
答えられないなんて
そんなのは嫌だ!”
”何が君のしあわせ
何をして喜ぶ
わからないまま終わる
そんなのは嫌だ!”
私が病んでいたときに、
友人から届いた手紙に書いてあった歌詞です。
改めて読むと、深い歌詞です。
自分が何のために生きているのか。
何をしたいと、何をしようと思って生きているのか。
自分にとって何がシアワセで、何が喜びなのか。
それがわからないのは、
”悪い”とか”間違ってる”とかじゃなくて、
”嫌(イヤ)”なことだということ。
他人から見てどうこうじゃなくて、
わからない自分が、
わからないまま生きていく自分が、
”嫌”なんだということ。
すごく納得できる歌詞です。
アンパンマンは、困っている人を助けるために、
自分の顔を差し出します。
ジャムおじさんの作ってくれた、
アンパンでできた自分の顔をあげるのです。
まさに、自分の身を削って、人を助けるのです。
それって、けっこうすごいことです。
なぜそんなことができるのか?
それは、またアンパンを作ってくれる人がいるから。
必ずまた作ってくれる人がいるという、
絶対的な安心感があるからだと思います。
”絶対的な安心感”
それって、すごい大きいことじゃないでしょうか。。。
帰る場所があるから、
何があっても受け止めてくれる場所があるから、
絶対的に守ってくれる人がいるから、
思いっきり戦うことができるのです。
そして、最後に。
”あ、あ、アンパンマンやさしい君は
行け!みんなの夢守るため”
おいしいアンパンは、
自分のためだけじゃなくて、
みんなのためにもあるのです。
きっと、
おいしいものは、
みんなのためにあるのです(笑)。
みんなの夢を守るためにあるのです。
2010年05月12日
圧力鍋
私が玄米を圧力鍋で炊いているとお話すると、
「どの圧力鍋を使っていますか」
というご質問をよくいただくので、
ご紹介したいと思います。
これが私の使っている圧力鍋です。
平和の圧力鍋です。
写真のは、5合炊きです。
ご家庭で使いやすい大きさだと思います。
玄米を炊くほか、
豆を煮たり、
高きびを炊いたり、
使用頻度は一番高いです。
ちょっとクマさんの顔みたいでかわいいです(笑)。
これは、15合炊きと並べた写真です。
相変わらず写真撮るのが下手で
わかりづらくてすみません(苦笑)。
左が15合炊きで、右が5合炊きです。
なぜこの鍋かというと、玄米を炊くのに一番いいと言われていたからです。
あと、修行先でもこれを使っていたので、
慣れているので使いやすいというのもあります。
道具は、機能とかももちろん大事なのですが、
自分が使いやすい、しっくりくる、自分の手になじむ、
そういう”感覚”というのも大事だと思います。
そういう感覚は、使い込んでこそわかってくるものなので、
買うときに判断するのはけっこう難しいのですが、
少々値がはっても、自分が長く愛せる(と思う)道具を
お選びになることをオススメします。
料理には、
作る人の精神状態が影響してくるものなので、
おいしいモノを作るためには、
自分が気持ちよく料理できる環境を整えるというのも
ひとつの手段です。
料理を作るのも毎日のことだから、
「うれしい、たのしい、気持ちいい」
という私のスローガン(?)は、
食べる人だけでなく、
作る人にとってもそうであってほしいという
私の願いでもあります。
作る人の「うれしい、たのしい、気持ちいい」が、
食べる人の「うれしい、たのしい、気持ちいい」を
作り出すのです。。。
「どの圧力鍋を使っていますか」
というご質問をよくいただくので、
ご紹介したいと思います。
これが私の使っている圧力鍋です。
平和の圧力鍋です。
写真のは、5合炊きです。
ご家庭で使いやすい大きさだと思います。
玄米を炊くほか、
豆を煮たり、
高きびを炊いたり、
使用頻度は一番高いです。
ちょっとクマさんの顔みたいでかわいいです(笑)。
これは、15合炊きと並べた写真です。
相変わらず写真撮るのが下手で
わかりづらくてすみません(苦笑)。
左が15合炊きで、右が5合炊きです。
なぜこの鍋かというと、玄米を炊くのに一番いいと言われていたからです。
あと、修行先でもこれを使っていたので、
慣れているので使いやすいというのもあります。
道具は、機能とかももちろん大事なのですが、
自分が使いやすい、しっくりくる、自分の手になじむ、
そういう”感覚”というのも大事だと思います。
そういう感覚は、使い込んでこそわかってくるものなので、
買うときに判断するのはけっこう難しいのですが、
少々値がはっても、自分が長く愛せる(と思う)道具を
お選びになることをオススメします。
料理には、
作る人の精神状態が影響してくるものなので、
おいしいモノを作るためには、
自分が気持ちよく料理できる環境を整えるというのも
ひとつの手段です。
料理を作るのも毎日のことだから、
「うれしい、たのしい、気持ちいい」
という私のスローガン(?)は、
食べる人だけでなく、
作る人にとってもそうであってほしいという
私の願いでもあります。
作る人の「うれしい、たのしい、気持ちいい」が、
食べる人の「うれしい、たのしい、気持ちいい」を
作り出すのです。。。
2010年05月11日
ある日の会話
今日は、雨です。
しとしとと降る雨を見ていると、
なんとなく過去のことを思い出したり、
つい考え事をしてしまいます。
そして、ある日の会話を思い出しました。
最近、よく登場している”島崎さん”とのある日の会話です(笑)。
初めて、群馬出張所で髪を切ってもらったときのことです。
いつもの益子の美容室とは全然違う雰囲気のお店だし、
なんだかそわそわするかなぁと思っていたのですが、
その逆で、なんだか落ち着いて切ってもらうことができました。
多分、島崎さんはもともと群馬の人なので、
島崎さん自身が、肩のチカラを抜いている感じが
伝わってきたからだと思います。
そんな話をしていたら、
「やっぱり、異端児だな」
といわれました。
「へっ?それってどういう意味ですか?
喜んでいいんでしょうか。。。」
「さぁ。それは本人しだいでしょ。
俺は感じたことをありのまま言っただけだから」
「。。。」
喜ぶとか喜ばないとかじゃなく、
自分が異端児だということを受け入れるということでしょうか。。
島崎さんは、東京でたくさんの人を切ってきた経験から、
やっぱり、環境、土地柄というのはその人となりに影響すると
思っているそうです。
島崎さんいわく、
栃木で私を切っているとき、
「やっぱり栃木人じゃないな」
と他の栃木のお客さんと比べて感じたそうです。
なんとなく”栃木っぽくない”と。
それを島崎さんの中で、
私が群馬人だからかなと思っていたそうなのですが、
いざ群馬で私を切ってみると、
他の群馬人と私はなんか違うらしく、
”群馬人っぽくない”と。
そんなことも含めて、
「やっぱり、異端児だな」
という表現になったそうなのです。
私は、群馬で生まれ、群馬で育ったけれど、
群馬人ぽくないらしい。。。
それから、ずっと、この”異端児”という言葉が
なんとなく、自分の中に残っていました。
そして、思いました。
この”異端児”という称号(?)をありがたくいただこうと(苦笑)。
違うことは、悪いことじゃない。
大事なのは、違うということを受け入れて認めることじゃないかな。
違うからこそできることがあるんじゃないかな。
そんなことを思いました。
みんなそれぞれ違う人が集まって、
”社会”は、”世界”は、構成されています。
そして、それぞれがそれぞれの役割というか、
生きている意味があると思います。
じゃあ私は。。。
”異端児”である自分を受け入れて、
自分が進みたい方向へ向かって、
一歩一歩歩くしかないと、
妙に決意が固められた、ある日の会話なのでした。。
”雨降って、地固まる”
雨降りの日は、
自分の考えを固めるのにいい日だなと、
窓の外の雨を見ながら、ふと思うのでした。
しとしとと降る雨を見ていると、
なんとなく過去のことを思い出したり、
つい考え事をしてしまいます。
そして、ある日の会話を思い出しました。
最近、よく登場している”島崎さん”とのある日の会話です(笑)。
初めて、群馬出張所で髪を切ってもらったときのことです。
いつもの益子の美容室とは全然違う雰囲気のお店だし、
なんだかそわそわするかなぁと思っていたのですが、
その逆で、なんだか落ち着いて切ってもらうことができました。
多分、島崎さんはもともと群馬の人なので、
島崎さん自身が、肩のチカラを抜いている感じが
伝わってきたからだと思います。
そんな話をしていたら、
「やっぱり、異端児だな」
といわれました。
「へっ?それってどういう意味ですか?
喜んでいいんでしょうか。。。」
「さぁ。それは本人しだいでしょ。
俺は感じたことをありのまま言っただけだから」
「。。。」
喜ぶとか喜ばないとかじゃなく、
自分が異端児だということを受け入れるということでしょうか。。
島崎さんは、東京でたくさんの人を切ってきた経験から、
やっぱり、環境、土地柄というのはその人となりに影響すると
思っているそうです。
島崎さんいわく、
栃木で私を切っているとき、
「やっぱり栃木人じゃないな」
と他の栃木のお客さんと比べて感じたそうです。
なんとなく”栃木っぽくない”と。
それを島崎さんの中で、
私が群馬人だからかなと思っていたそうなのですが、
いざ群馬で私を切ってみると、
他の群馬人と私はなんか違うらしく、
”群馬人っぽくない”と。
そんなことも含めて、
「やっぱり、異端児だな」
という表現になったそうなのです。
私は、群馬で生まれ、群馬で育ったけれど、
群馬人ぽくないらしい。。。
それから、ずっと、この”異端児”という言葉が
なんとなく、自分の中に残っていました。
そして、思いました。
この”異端児”という称号(?)をありがたくいただこうと(苦笑)。
違うことは、悪いことじゃない。
大事なのは、違うということを受け入れて認めることじゃないかな。
違うからこそできることがあるんじゃないかな。
そんなことを思いました。
みんなそれぞれ違う人が集まって、
”社会”は、”世界”は、構成されています。
そして、それぞれがそれぞれの役割というか、
生きている意味があると思います。
じゃあ私は。。。
”異端児”である自分を受け入れて、
自分が進みたい方向へ向かって、
一歩一歩歩くしかないと、
妙に決意が固められた、ある日の会話なのでした。。
”雨降って、地固まる”
雨降りの日は、
自分の考えを固めるのにいい日だなと、
窓の外の雨を見ながら、ふと思うのでした。
2010年05月10日
”永遠の幸福”
昨日は母の日でした。
いつもお任せでお願いしている
栃木のお花屋さんから届きました。
このアレンジメントに使われているのは、
世界で初めてという青紫色のカーネーションで、
「ムーンダスト(Moondust)」というそうです。
花言葉は”永遠の幸福”。
う~ん、なるほど。。
母は、紫色が好きな人なので、
「私好み!」
ととても喜んでいました。
「せっかくだから」と、
とちの木の店内に飾ることにしました。
どこに置くんだろうと見ていると、
私のお菓子をどかしはじめました。
「おっと、おっと~」(苦笑)、
でも、きれいだからしょうがない。
お花に場所を譲ることにしました。。。
しばらくは、一番いい場所にこのお花が飾られていると思います。
いつもお任せでお願いしている
栃木のお花屋さんから届きました。
このアレンジメントに使われているのは、
世界で初めてという青紫色のカーネーションで、
「ムーンダスト(Moondust)」というそうです。
花言葉は”永遠の幸福”。
う~ん、なるほど。。
母は、紫色が好きな人なので、
「私好み!」
ととても喜んでいました。
「せっかくだから」と、
とちの木の店内に飾ることにしました。
どこに置くんだろうと見ていると、
私のお菓子をどかしはじめました。
「おっと、おっと~」(苦笑)、
でも、きれいだからしょうがない。
お花に場所を譲ることにしました。。。
しばらくは、一番いい場所にこのお花が飾られていると思います。
2010年05月10日
「ん?何?」
今日は月曜日。
定休日なので、ゆっくりしています。
外の犬もこんな感じ。。。
寝てるんだけど。。
何?
ご主人さまの呼びかけに、
顔を向けるだけの横着な犬です。
先日、小さい子どもに言われていました。
「この犬、犬なのにタヌキみたいだね~」
って(笑)。
子どもは正直です。
でも、いちおうナルという名前の「犬」です。
定休日なので、ゆっくりしています。
外の犬もこんな感じ。。。
寝てるんだけど。。
何?
ご主人さまの呼びかけに、
顔を向けるだけの横着な犬です。
先日、小さい子どもに言われていました。
「この犬、犬なのにタヌキみたいだね~」
って(笑)。
子どもは正直です。
でも、いちおうナルという名前の「犬」です。
2010年05月09日
庭のとちの木
庭のとちの木です。
青々としてきました。
とちの木の創業時からある木です。
もともとは一本の木でしたが、
横からもう一本でてきたので、
株分けしたら、こんなに大きくなって、
いまではこの2本の木が、
我が家を守ってくれています。
とちの木は、栃木県の県木なので、
よく、「栃木出身ですか?」と聞かれるのですが、
栃木県とのゆかりはなく、
「栃窪」という名字に由来して
「キッチンとちの木」を始め、
シンボルとして「とちの木」を植えています。
今は、となりの敷地はコンクリートで固められてしまったのですが、
ここに越してきた頃は、桐の木の雑木林でした。
私は2歳くらいでした。
それから私が小学生くらいまで雑木林だったと思います。
その桐の木の間を通って差し込む木洩れ日が、
とてもきれいだったからここに場所を決めたと
母がよく言っていました。
私の好きな原風景です。
私が木が好きなのは、木に囲まれて育ったという
周りの環境も関係しているのだと思います。
先日、入院していたおじちゃんが退院しました。
とちの木に食べにきてくれました。
帰りに庭の「とちの木」のところに連れて行くと、
「おお~!でかくなったな~!」
と、なんだかとても嬉しそう(笑)。
青々と茂る木から、生命力をもらい
少し元気になったようでした。
「この木に合うログハウスをここに建てよう!」
なんて、楽しい構想をめぐらせていたので、
「そしたらおじちゃん泊まりにきていいよ」
と言ったら、
「へへへー(笑)」
と久しぶりにいい笑顔を見せてくれました。
人間楽しみがあると頑張れるものです。
病気に負けず、笑顔のおじちゃんでいて欲しいな、
そのためにできることはしてあげたいな、と思いました。
そして、
とちの木とともに、
おじちゃんやみんなを、
守ってあげられるようになりたいです。
そういえば、今日は”母の日”です。
お母さん、今までずっと見守ってくれてどうもありがとう。
これからもどうぞよろしくお願いします。
肩たたき券でも贈ろうかな。。。
2010年05月08日
虹
昨日、18時半ころ、
きれいな虹がかかりました。
外にいた父が
「おーーーい!」と呼ぶので、
何事かと私と母がでていくと
きれいな虹がかかっていました。
久しぶりに見た虹に、
思わず、
「わお~っ!」
と叫んでしまいました(笑)。
そして、携帯で写真を撮っていると、その携帯にメールあり。
「虹がきれいだよ」と。
教えてくれてありがとう。
私も今連絡しようと思ってたんだよ。
なんだか、一筋のあたたかい光が差したようで、
とてもシアワセな気持ちに包まれたひとときでした。
ワーズワースが詩集の中で書いていました。
「わが心はおどる
虹の空にかかるを見るとき」
と。
虹は、自然のある条件が重なったときにだけ見えます。
そして、たまたまそこに自分が居合わせたことによって見ることができます。
それは、やっぱり、瞬間に存在するひとつの奇跡。
特別なプレゼントをもらった気がして、心がおどるのかもしれません。
「バラ色の人生」なんてよく言われるけれど、
私は、バラの花束をもらうより、
鮮やかな虹をみたいな。
嬉しいことも、悲しいことも、楽しいことも、苦しいことも、
いろんな気持ちを持った”虹色の人生”がいいな
なんて、ふと思ったりするのでした。
欲を言えば、そんな”私の虹”をみて
「きれいだね」なんて言ってもらうことができたら、
生きていた甲斐があったといえるのかな、なんて思うのでした。
2010年05月07日
犬と病院
最近、急に暑くなったせいか、
蚊がでてきました。
夜、顔を刺されて、痒くて目が覚めました。
なので、フィラリア対策と、狂犬病の注射をうちに、
昨日、犬を病院に連れて行きました。
いつもの鎖から、
お散歩用のひもにつながれると
とても嬉しそう。
「なんで車に乗るんだろう??」
と少しいぶかしげな顔をしながらも、
車に素直に乗り込みました。
が、しかし。
車が動き出すと、
「なんだ?!なんだ?!」と
大慌て。
「どこに連れて行かれるんだ?」
「散歩に行くんじゃなかったのか?」
「話が違うじゃないか!」
とも言いたげな顔で私をみます。
「ごめんね。
これから病院へ行くんだよ。
少しの間だから我慢してね。。」
君たちのためなんだと
何度も言い聞かせながらの道中。
病院では、
体重を量り、聴診器を当てられ、体温を測り、
注射をうってもらって、お薬をもらって、
「ちょっと太り気味ですね・・。
心臓に負担がかかるので、
少しダイエットしたほうがいいかもしれません」
なんて言われ、
人間さながらの対応を受け
帰宅。
犬もぐったりしていたけれど、
こちらもぐったり。。(苦笑)
年に一度の恒例行事です。。。
2010年05月06日
号泣のわけ。
昨日のブログで嘘を書いてしまいました。。
益子からの帰り道、
夕日を見ながら号泣して家路に着く自分に対して、
「なぜだかわかりませんが・・」と書きました。
でも、本当は、号泣には、わけがあるのです。
私のアイデンティティにかかわる(と思う)、わけがあるのです。
夕日を見ると、思い出す光景があります。
母と手をつないで見た、とてもきれいな夕日です。
うちは、自営業で、定休日は月曜日です。
最近は、親も年をとってきたので、
月に一回は連休をとらないとカラダがもたないのいうのもあって、
第3火曜日もお休みをいただくようになりましたが、
ずっと、週1休みで「とちの木」をやってきました。
つまり、日曜日が休みの学生の私たちとは、休みが合わないということです。
だから、どこかに家族で旅行に行ったりとか、
美術館とか映画館に何かを見に行ったりとか、
そうゆうのはほとんど全くと言っていいほどありませんでした。
親は、そういうことを、気にしていたようです。
「子どもをどこにも連れて行ってあげられない・・・」
と。
でも、子どもたちからすると、
そういう家庭に生まれて育ったので、
それが「普通」で、別に気にした事はありませんでした。
それぞれ部活に精をだして、のびのびとやっていました。
「来て~~~っ!!」
何かと母は大きな声で私たちを呼びます。
「なーに、うるさいなぁ」
ぶつぶつ言いながら母のところへ行くと、
なんてことはないことなのです。
「見て!この花きれいだよ!」
「見て!芽が出てきたよ!」
「見て!空がきれいだよ!」
「見て!夕日がきれいだよ!」
あるとき、
母と並んで夕日を見ながら
「きれいなものがあると、なんでわざわざ呼ぶの?」
と聞きました。
そしたら、
「お母さんは、お前たちをどこにも連れて行ってあげられないから、
せめて、自分がきれいだと思ったモノをお前たちに見せてあげたいの」
と言われました。
ああ、そうだったんだ。
私は、母の手をぎゅーっと握ってしまいました。
美術館に行って見る絵より、
ずっとずっときれいな夕日でした。
私が、
「自然」に惹かれること、
「自然」を求めること、
「自然」にあったかいモノを感じること、
こんな私になったのは、母の影響も大きいのだと思います。
以前、美容師の島崎さんに、
私の想いをいろいろと話したら、
「これから朝日が昇るな」
と言われました。
夕日は沈んでいくけれど、
必ず朝日は昇ってくるのです。
益子からの帰り道、
そんないろいろを思い出して、
夕日に向かって走りながら、
号泣してしまうのです。
なんだか”青春”って感じですかね(笑)。
相田みつをさんの言葉にありましたが、
”一生感動、一生青春”。
私は、それで行こうと思います!
益子からの帰り道、
夕日を見ながら号泣して家路に着く自分に対して、
「なぜだかわかりませんが・・」と書きました。
でも、本当は、号泣には、わけがあるのです。
私のアイデンティティにかかわる(と思う)、わけがあるのです。
夕日を見ると、思い出す光景があります。
母と手をつないで見た、とてもきれいな夕日です。
うちは、自営業で、定休日は月曜日です。
最近は、親も年をとってきたので、
月に一回は連休をとらないとカラダがもたないのいうのもあって、
第3火曜日もお休みをいただくようになりましたが、
ずっと、週1休みで「とちの木」をやってきました。
つまり、日曜日が休みの学生の私たちとは、休みが合わないということです。
だから、どこかに家族で旅行に行ったりとか、
美術館とか映画館に何かを見に行ったりとか、
そうゆうのはほとんど全くと言っていいほどありませんでした。
親は、そういうことを、気にしていたようです。
「子どもをどこにも連れて行ってあげられない・・・」
と。
でも、子どもたちからすると、
そういう家庭に生まれて育ったので、
それが「普通」で、別に気にした事はありませんでした。
それぞれ部活に精をだして、のびのびとやっていました。
「来て~~~っ!!」
何かと母は大きな声で私たちを呼びます。
「なーに、うるさいなぁ」
ぶつぶつ言いながら母のところへ行くと、
なんてことはないことなのです。
「見て!この花きれいだよ!」
「見て!芽が出てきたよ!」
「見て!空がきれいだよ!」
「見て!夕日がきれいだよ!」
あるとき、
母と並んで夕日を見ながら
「きれいなものがあると、なんでわざわざ呼ぶの?」
と聞きました。
そしたら、
「お母さんは、お前たちをどこにも連れて行ってあげられないから、
せめて、自分がきれいだと思ったモノをお前たちに見せてあげたいの」
と言われました。
ああ、そうだったんだ。
私は、母の手をぎゅーっと握ってしまいました。
美術館に行って見る絵より、
ずっとずっときれいな夕日でした。
私が、
「自然」に惹かれること、
「自然」を求めること、
「自然」にあったかいモノを感じること、
こんな私になったのは、母の影響も大きいのだと思います。
以前、美容師の島崎さんに、
私の想いをいろいろと話したら、
「これから朝日が昇るな」
と言われました。
夕日は沈んでいくけれど、
必ず朝日は昇ってくるのです。
益子からの帰り道、
そんないろいろを思い出して、
夕日に向かって走りながら、
号泣してしまうのです。
なんだか”青春”って感じですかね(笑)。
相田みつをさんの言葉にありましたが、
”一生感動、一生青春”。
私は、それで行こうと思います!
2010年05月05日
島崎サービス
以前、私が髪を切ったときに、
その様子を「みそぎの時間」と題してブログに載せました。
それをご覧になり、興味をもたれ、
私が切ってもらっている美容師さんのことを紹介して欲しいと
おっしゃる方がけっこういらっしゃったので、
島崎さん(その美容師さん)に了解をとり、島崎さん情報を公開することにしました。
●島崎サービス
(THE SHOP OFFERS HAIRDRESSING & RELAXATION)
住所:栃木県芳賀郡益子町益子3053-3 見目陶苑内
℡:0285-72-9992
営業日:不定休
島崎さんは群馬出身の方で、月に2回、
群馬にある島崎さんのおばさんの美容室でお仕事をされています。
●島崎サービス群馬出張所
住所:甘楽郡甘楽町福島1251-5(上州福島駅近く)
℡:0285-72-9992(転送されます)
営業日:基本的に第2、4日・月曜日
営業時間はとくに決まっていないので、
電話をして相談で決めるかんじになります。
島崎さんは、以前は東京(確か恵比寿?)で、自分の店を持ち、
12人のスタッフを雇って、今でいう”カリスマ美容師”をやっていた人です。
お客さんも入っていたし、うまくいっていたんだけど、
自分の感覚的に、やりたいのはこういう店じゃない、と思ったんだそうです。
自分がやりたいのは、ただ髪を切るだけの美容室じゃないと思ったんだそうです。
その島崎さんの感覚がわかる気がします。
髪は、カラダの一部です。
切られる直前まで、血が通っています。
それを切るという行為。
実は、とても神聖な行為なのかもしれないと思います。
そして、島崎さんは東京の店を閉じ、
栃木・益子に移り住んで、アパートの一室を借りて、
一人で、自分が思う美容室を始めました。
それから数年後に、私が益子に到着し、出会うわけです。。。(笑)
今では、ご結婚されて、二人のお子さんがいて、
奥さまのご実家の見目陶苑さんの敷地内で、美容室をされています。
とてもシンプルなお店で、
島崎さんらしい感じの”素的”なお店です。
あの空気感が好きで、群馬に戻ってからも、
何度か益子まで行って切ってもらっていました。
栃木は私の第二の故郷と言える場所なので、
片道3時間くらいかけて益子に行き、
島崎さんに切ってもらいがてら、
お気に入りのお店に行ったり、
久しぶりにかつての(今も?)戦友に会ったり、
お世話になった方にご挨拶に伺ったり。
私にとって大事な時間です。
そして、帰りの車の中で、やっぱりいろいろ思うのです。
今までのこと、これからのこと。
帰りの道のりは、西に向かって車を走らせるので、
夕日に向かって走るような形になります。
益子からの帰りに見る夕日は、
なぜかわかりませんがいつも私の涙腺を刺激し、
号泣しながら群馬に着くのです(笑)。
そう思うと、益子への訪問は、
余分な髪を切り落とし、
号泣によって汚れを涙で洗い流し、
本来の自分を取り戻すために、
私にとって大事な旅なのかもしれません。
髪は「女性の命」です(笑)。
旅は「ココロの栄養」です。
その様子を「みそぎの時間」と題してブログに載せました。
それをご覧になり、興味をもたれ、
私が切ってもらっている美容師さんのことを紹介して欲しいと
おっしゃる方がけっこういらっしゃったので、
島崎さん(その美容師さん)に了解をとり、島崎さん情報を公開することにしました。
●島崎サービス
(THE SHOP OFFERS HAIRDRESSING & RELAXATION)
住所:栃木県芳賀郡益子町益子3053-3 見目陶苑内
℡:0285-72-9992
営業日:不定休
島崎さんは群馬出身の方で、月に2回、
群馬にある島崎さんのおばさんの美容室でお仕事をされています。
●島崎サービス群馬出張所
住所:甘楽郡甘楽町福島1251-5(上州福島駅近く)
℡:0285-72-9992(転送されます)
営業日:基本的に第2、4日・月曜日
営業時間はとくに決まっていないので、
電話をして相談で決めるかんじになります。
島崎さんは、以前は東京(確か恵比寿?)で、自分の店を持ち、
12人のスタッフを雇って、今でいう”カリスマ美容師”をやっていた人です。
お客さんも入っていたし、うまくいっていたんだけど、
自分の感覚的に、やりたいのはこういう店じゃない、と思ったんだそうです。
自分がやりたいのは、ただ髪を切るだけの美容室じゃないと思ったんだそうです。
その島崎さんの感覚がわかる気がします。
髪は、カラダの一部です。
切られる直前まで、血が通っています。
それを切るという行為。
実は、とても神聖な行為なのかもしれないと思います。
そして、島崎さんは東京の店を閉じ、
栃木・益子に移り住んで、アパートの一室を借りて、
一人で、自分が思う美容室を始めました。
それから数年後に、私が益子に到着し、出会うわけです。。。(笑)
今では、ご結婚されて、二人のお子さんがいて、
奥さまのご実家の見目陶苑さんの敷地内で、美容室をされています。
とてもシンプルなお店で、
島崎さんらしい感じの”素的”なお店です。
あの空気感が好きで、群馬に戻ってからも、
何度か益子まで行って切ってもらっていました。
栃木は私の第二の故郷と言える場所なので、
片道3時間くらいかけて益子に行き、
島崎さんに切ってもらいがてら、
お気に入りのお店に行ったり、
久しぶりにかつての(今も?)戦友に会ったり、
お世話になった方にご挨拶に伺ったり。
私にとって大事な時間です。
そして、帰りの車の中で、やっぱりいろいろ思うのです。
今までのこと、これからのこと。
帰りの道のりは、西に向かって車を走らせるので、
夕日に向かって走るような形になります。
益子からの帰りに見る夕日は、
なぜかわかりませんがいつも私の涙腺を刺激し、
号泣しながら群馬に着くのです(笑)。
そう思うと、益子への訪問は、
余分な髪を切り落とし、
号泣によって汚れを涙で洗い流し、
本来の自分を取り戻すために、
私にとって大事な旅なのかもしれません。
髪は「女性の命」です(笑)。
旅は「ココロの栄養」です。
2010年05月04日
月と発想。
昨日に引き続き、朝から月ネタです(苦笑)。
月を見ると、もうひとつ思い出すことがあります。
ニュートンです。
正確にいうと、”ニュートンの発想”です。
ニュートンとは、りんごが木から落ちるのを見て、
万有引力を発見した、あのニュートンです。
なぜ、りんごが木から落ちるところを見て、
万有引力を発見できたのか?
3メートルの高さの木からりんごが落ちた。
では、5メートルの高さからは?
ではでは、10メートルは?
ではではでは、100メートル、1000メートル、・・・・。
とずっとずっと、いっていって、月に辿り着いた。
あれ、月は落ちてこない。。
なぜだろう。。。
彼のすごいところはここです。
この発想力です。
ひとつの現象を見て、それをきっかけにどれだけ考えられるか。
ひとつの現象から、どれだけ発想を広げていけるか。
そこなのかなと思います。
はじまりは、”特別な何か”にあるのではなく、
日々の暮らしの中に転がっている”何か”なのかもしれません。
”発想”というのは、
なんとなくクリエイティブな雰囲気が漂う言葉だけど、
つまりは、どれだけ突き詰めて考えていけるか、
どれだけ見えないものを感じられるか、
感じようとしているかで、
その結果生まれるモノではないかと思います。
”ここにはない何か”
ではなく、
”ここにあるのに見えてない何か”
があるのです。
大事なものは、
私たちの周りに、実はすぐ近くに、
たくさんあるのかもしれません。
いつもそこにあるけれど、夜にならないと見えない、
なんだか月と似ているなぁと思い、
「今日は(も?)仕事の後に一杯やろうか」と、
ついつい思ってしまう私なのでした。。。
今日もしっかり働いて、おいしいお酒をのむぞー(笑)
そういえば、益子時代に、
夜ふらふらと自転車に乗って、
川原に出かけて寝転がって、
月を仰ぎながらビールを飲んでいました。
”月見酒”も乙なものです。
お父さん、お母さん、こんな娘でごめんなさい。。。(苦笑)
月を見ると、もうひとつ思い出すことがあります。
ニュートンです。
正確にいうと、”ニュートンの発想”です。
ニュートンとは、りんごが木から落ちるのを見て、
万有引力を発見した、あのニュートンです。
なぜ、りんごが木から落ちるところを見て、
万有引力を発見できたのか?
3メートルの高さの木からりんごが落ちた。
では、5メートルの高さからは?
ではでは、10メートルは?
ではではでは、100メートル、1000メートル、・・・・。
とずっとずっと、いっていって、月に辿り着いた。
あれ、月は落ちてこない。。
なぜだろう。。。
彼のすごいところはここです。
この発想力です。
ひとつの現象を見て、それをきっかけにどれだけ考えられるか。
ひとつの現象から、どれだけ発想を広げていけるか。
そこなのかなと思います。
はじまりは、”特別な何か”にあるのではなく、
日々の暮らしの中に転がっている”何か”なのかもしれません。
”発想”というのは、
なんとなくクリエイティブな雰囲気が漂う言葉だけど、
つまりは、どれだけ突き詰めて考えていけるか、
どれだけ見えないものを感じられるか、
感じようとしているかで、
その結果生まれるモノではないかと思います。
”ここにはない何か”
ではなく、
”ここにあるのに見えてない何か”
があるのです。
大事なものは、
私たちの周りに、実はすぐ近くに、
たくさんあるのかもしれません。
いつもそこにあるけれど、夜にならないと見えない、
なんだか月と似ているなぁと思い、
「今日は(も?)仕事の後に一杯やろうか」と、
ついつい思ってしまう私なのでした。。。
今日もしっかり働いて、おいしいお酒をのむぞー(笑)
そういえば、益子時代に、
夜ふらふらと自転車に乗って、
川原に出かけて寝転がって、
月を仰ぎながらビールを飲んでいました。
”月見酒”も乙なものです。
お父さん、お母さん、こんな娘でごめんなさい。。。(苦笑)