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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2010年06月15日

散髪。

昨日、髪を切ってきました。
いつもの島崎さんです。

今回の注文というか私の持って行ったテーマは、

「風」。

「風を感じるような髪型とか、
風になびくさわやかな髪型とかそういうんじゃなくて、
風を力にする”風車”みたいな、風力発電できるような髪型にしてください」

「なるほどね、風車ね。うん、わかりました」

さすが、島崎さん、わかってくれる(笑)。

もちろん、
ライオンのあたまみたいな、
ヘビメタのロック歌手みたいな、
ドラゴンボールのサイヤ人みたいな、
そんな風車みたいなカタチにしてくださいってことじゃないんですよ(笑)。

自分で注文しておきながら、
どんな風(ふう)にしてくれるんだろうとちょっとわくわく。

島崎さんは、いつものように私の髪をさわりながら、
イメージを考えるのか、少し瞑想(?)。
「匂いを感じてるんだよね」と。
厨房にいる時間が長いので、油の匂いのしみこんだ
自分の髪の匂いをかがれるのはちょっと。。と思っていると、
そういう匂いじゃなくて、その人間のかもし出す匂いなんだそう。

「カラー入れようか」

「えっ?!いいです。
カラーは好きじゃないんで、入れなくていいです。」

「あ、そう」

でも、少し切り始めて、
「カラー入れよう、やっぱりそんなに切るとこないよ。
気に入らなかったら、戻すから。」と。

「いや、いいです。
カラーって、いい想いがなくて、怖いからいいです。」

でも、珍しくゴリ押しで、
「でも、今のなほちゃんに必要なのは、カラーだよ。
絶対入れたほうがいいよ。責任取るよ。俺が考え出したやり方のカラーだから。
その、”怖い”っていうのも、今のなほちゃんのキーワードなんじゃないの。
昔の戦国武将だって、草木染で髪染めてたんだぜ」と。

カラーなんて頭にはひとつもなかったのですが、
自分の足元をみると珍しくピンクの靴下を履いていて、
今の私にはカラーが必要なのかもしれないとなんだか感じて、
島崎さんを信じて、”100%”おまかせでやってもらいました。

カラーって、なんだかとても抵抗があって、
若かりし頃に何度か入れたこともあったけれど、
いつも思ったようにはならなくて、
「もう二度とカラーはしない、自然がいいよね。自然な色がいいよね」
そう思っていました。

”髪に色をつける”っていうのは、
”チャパツ(茶髪)”という言葉を連想してしまって、
流行とか、ファッションとか、
なんか軽いというか、浅はかというか、
歴史が浅い感じを受けていたのですが、
「戦国武将も草木染めで頭髪を染めた」という文献も残っているんだそうで、
実は伝統?というか歴史があるんだと知って妙に納得。
色に力をもらえるのかもしれないと思いました。

私は、”深いところにある自分”を呼び起こすためには、
その自分を覆い隠してしまった余分なものをどかす、
つまり、不要なものを切り落とすことだと思っていて、
だから”髪を切る”という行為が必要だと思っていたのですが、
切り落とすだけじゃないのかもしれない、と思いました。

考え方を変える、見方を変える、
つまり、色を変える。

それが必要な時もあるのかなと思いました。

色といえば、
日本人の色彩感覚は非常に優れているといわれています。
それは、自然に対する感性が優れているからではないかと
どこかに書いてあったような気がします。

「桜色」、「朱色」、「橙色(だいだい)」、「トキ色」、「キツネ色」。
私たちが日常の中で自然に使っている色の名前は、
かつて、
人々が、
自然の中で、
花や空の微妙な色の変化を感じ取り、
身近な動植物と接する中で、
それにふさわしい名前をつけて表現してきたものです。

”ピンク”ではなく、桜色であり、桃色であり、トキ色であり。
トキ色とは、鴇色で、あの絶滅危惧種の鴇(トキ)の色です。
トキという鳥は、写真で見る限りでは、ピンクには見えないけれど、
トキ色の和服はやさしいピンクのような色。
なぜだろうと、手元にあった『色の名前』という本を見てみると、
トキ色とは、トキが大空を飛ぶときにしか見せない風切羽の色だと書いてあります。
ちなみに、その鴇色の風切羽は、古くから珍重され、
伊勢神宮では、儀式で使う太刀の柄の飾りとして、今も使われているそうです。

色というのは、時の流れや、動植物の変化、自然の中にあるものを読み取り、
それらを表現する感性によって生まれてきたのです。
そして、合成染料も、化学染料もない時代には、
色をつけるために、大変な手間をかけて自然から色を得てきたのです。


戦国武将が、”自然”という中でうまれる色を身に(髪に)つけて戦ったように、
自然に対する強い感性を持った私たちの祖先は、
色を生活の中に上手に使ってきたんだと思います。
まさしく、生活に”彩り”を取り入れてきたんだと思います。

そして、髪を切り、染める時間の中で、
今の自分の中によどんでいたものは、
”怖い”というある種恐れの感情だったのかもしれないと思いました。

でも、欲望というか、願望というか、
「こうしたい」「こうでありたい」という欲求があるからこそ、
それが達成できない可能性への”恐怖”が生まれるのであり、
それを切り落として、なかったことにするのはちょっと違って、
それに向き合い、直視する時も必要なのだと思いました。

つまり、”恐怖”と感じていたものを”希望”という色に変えてみるのです。
自分の中で。
自分の力で。

色をもらい、力をつけてもらった私は、
帰りの車の中で、
”台風のような女”になりたいと思いました。

”台風”というのは、
ひどい突風で多くをなぎ倒し、吹き飛ばす、
災害を引き起こすようないわゆる”台風”という意味ではなく、
”台所の風”というのを意味しています(笑)。

つまり、
”台所から風をおくる女”になりたいと思ったんでした。
少し、「私」という色をつけて。。。(笑)。

人生、いろいろ、色々、ですね。
  


Posted by とちの実 at 09:05Comments(0)徒然なもの