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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2010年09月06日

揺らぎの中に生きている。。

先日、ある方のブログを見ていたら、
ズーーーん、ときました。

”揺らぐ”ということに。

私は、
私たちは、
揺らぎながら、生きている。

という、まぎれもない事実に、
ズーーーんと、きてしまいました。。


勝手に文章、拝借してしまいますが、

「作る人間、一人ひとりが、
たったいま、みんな別々に揺らぎながら生きていて、
それでも食べ物を作っているということが大事。

生きて揺らいでいるというところが、大事なんだよね。
お財布の経済事情もありましょう。
時間の都合もありましょう。
体調の良しあしや、好みの違いもありましょう。
材料の質の違いもありましょう。

その中に、確固たるレシピやマニュアルは存在しませんね。
実用書的コンセプトも存在しません。
みんな別々の時空を生きているということが大事なのであって、
それでも、みんな生きていくということが大事なのであって、
料理なんか全然大事じゃないですよ。」


先日、お亡くなりになった林弘子さんのブログより抜粋されたものを抜粋。

なんだか、すごく、そうだなーと思ったのです。


おいしいものを作るのって、
すごく難しいな、と思うし、
すごく楽しいな、とも思います。

「おいしい」といわれるレシピがあっても、
「おいしい」といわれたレシピがあっても、
必ずしもおいしいものがつくれるとは限らない。
自分の精神状態や体調なんかも大きく影響するし、
素材の状態や道具の状態にもよる。

もちろん、その反対も成立するわけで、
テキトーに作ったのに、すごくおいしいときもあって、
だから、難しいけど、楽しいような気がします。。


これは、料理の世界だけではないですね。


昔の私は、すごく上昇志向で、
「絶対こうなりたい」とか、
「絶対こうしたい」とか、
”絶対”という言葉を惜しげもなく使っていたように思います。

そのくらい強く思わなければ、実現しないとも思っていました。
ある意味、”揺らぐ自分”を封じ込めるというか、
認めないように生きていた時期がありました。

今も、その名残はあるかもしれないけれど、
以前に比べれば、ずいぶん、”揺らぐ”ことに寛容になれてきた気がします。

”絶対”と決めないことによる、
可能性の広がり、懐の奥深さ、自由という強さ。

”揺らぐ”ことの不安定さに、
時々胸が苦しくなることがあるけれど、
それが生きているってことなのかな、と思います。

絶対的な正解があれば、迷うことがなくなって、楽になるような気がして、
「ああすればこうなる」という正解を求めてしまうけれど、
いろんなものの関係性の中に生きている限り、
たったひとつの正解なんて存在しないんだなぁと思うのです。


自分が揺らぐように、他者も、自分を取り巻く環境も揺らいでいて、
その揺らぎの中に、生きているんだということ。


その状態をイメージすると、
やっぱり”根”っていうのが大事なのかなと思うのです。

”海の中のわかめ”みたいなかんじで(笑)。

根がしっかりしていれば、
踊るように舞うように、
揺らぐことさえ楽しんで生きられるような気がしました。

揺らぐからこそ、
何かと触れ合い、さまざまな出会いがあって、
それこそが生きているってことなのかなと思いました。

生きているって、不思議だなぁと、
しみじみと思うのでした。。。



  


Posted by とちの実 at 06:06Comments(0)徒然なもの