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お問い合わせは、 info@gunmawen.net本広告は、30日以上記事の更新がされませんと自動的に掲載されます。 記事が更新された時点で、自動的に破棄されます。2010年09月30日
脱皮~抜け殻
先日、ザリガニが脱皮したとのご連絡をいただき、
その抜け殻を入手しました。
これが、その抜け殻です。
冷凍保存されて届き、解凍後の写真なので、
多少変形しています。
まじまじと見つめました。
抜け殻を、全体的に、部分的に、あらゆる角度から。
最近、髪を切り、脱皮した自分を思い出しました。
脱皮した私の抜け殻はどこに行ったんだろう。
ザリガニの抜け殻を見つめながら、
窮屈になって脱いだ自分の抜け殻を想像しました。
でも、自分を窮屈にしていたのはなんだったんだろう。
自己保身の殻だったんだろうか。。
脱いだばかりの私は、なんにでもなれるような気がする。
どこへでも行けるような気がする。
さらに大きくなるための、脱皮なのだ。
その抜け殻を入手しました。
これが、その抜け殻です。
冷凍保存されて届き、解凍後の写真なので、
多少変形しています。
まじまじと見つめました。
抜け殻を、全体的に、部分的に、あらゆる角度から。
最近、髪を切り、脱皮した自分を思い出しました。
脱皮した私の抜け殻はどこに行ったんだろう。
ザリガニの抜け殻を見つめながら、
窮屈になって脱いだ自分の抜け殻を想像しました。
でも、自分を窮屈にしていたのはなんだったんだろう。
自己保身の殻だったんだろうか。。
脱いだばかりの私は、なんにでもなれるような気がする。
どこへでも行けるような気がする。
さらに大きくなるための、脱皮なのだ。
2010年09月29日
白と緑
白いゴーヤと、緑のゴーヤです。
刻んでいる途中で、
2色のコントラストがきれいだったので、
料理する前に撮りました。
ついつい、お絵かきしちゃったり。。(笑)
苦味はそんなに変わらないような気がするけど、
白いほうが少しみずみずしい感じがします。
何を作ろうか目的をはっきりせず切り始めてしまい、
結局、炒め煮してしまいました。
苦味をおさえたいけど、
砂糖は使いたくなかったので米味噌を入れて煮ました。
苦味がむき出しにならず、ご飯のおかずに合う一品となりました。
たくさん作ってしまったので、パンにはさんでサンドイッチにしたりもしましたが、
けっこういけました。
ゴーヤはシャキシャキ感が残るのがいいところです。
食感って、料理をする上で、けっこう大事だと思います。
何でもありの、とちの実クッキングでした。。(笑)
2010年09月28日
ナスとピーマンの揚げびたし
皮の硬くなってしまったナスがたくさんあったので、
全部皮をむいて、揚げびたしにしました。
剪定ではじいたミニピーマンもあったので、それらも一緒に。
シンプルな料理も、たくさんあると、なんか絵になります(笑)。
素揚げしたナスとピーマンを、
直接タレに漬け込みました。
タレは、基本はおいしいしょう油を水で割ったものでいいのですが、
(水の量はお好みで、少し濃いめくらいの方がごはんのおかずにはいいです)
その時の気分で梅酢を入れたり、お酢を入れたり、場合によってはレモン汁、
ねぎの刻んだもの、ニラの刻んだもの、しょうがのすりおろしたものなど入れると、
よりおいしくなります。
今回は、しょうゆと、梅酢と、おろししょうがで味付けました。
さっぱりしたのが食べたい気分だったのと、
日持ちが良くなる、という二つの理由から。
でも、結局二日で完食。
日持ちを心配する必要なかったな~。。
あると、食べちゃうんだよな~。
お酒にも合うしな~。
食いしん坊、ばんざい!(笑)
もちろん、
”お手上げ”って意味じゃないですよ。
言葉通り、”ばんざい”ですよー
たしか、京都の方では、”おそうざい”を”おばんざい”というんだっけか。。
ということで、
食いしん坊、おばんざい!(寒)
失礼しました。。。(苦笑)
2010年09月27日
10月の予定。
もう9月も終わりです。
秋風に吹かれ、たそがれ始めています。。(笑)
10月の予定をお知らせします。
<10月の店休日>
10月4日(月)
12日(火) *11日(月)は祝日なので営業し、翌火曜日をお休みとさせていただきます。
18日(月)、19日(火)
25日(月)
10月3日(日)の「ふれあい朝市」、久しぶりの出店です。
栃木の有機農家・酒井さんの新米を引っさげての出店となります!(笑)
今は、ちょうど端境期のようで、あんまり野菜が豊富にそろわないのですが、
ごぼう、にんじん、たまねぎなど、手に入る野菜を中心にメニューを考えようと思います。
また、メニューが決まったらブログにアップいたします。
それにしても、この不安定な天候の中、
お米や野菜・果物などなど、一生懸命作ってくださった方々。。
本当に頭が下がります。
そして、この暑さの中、一生懸命お仕事されてきたみなさん。。
本当にお疲れさまです。。
感謝の気持ちをこめて、みなさんのココロとカラダが元気になるようなおいしいものを
作れるようにがんばりたいと思います。
ではでは、
今月もどうぞよろしくお願いいたします。
キッチンとちの木&とちの実。
秋風に吹かれ、たそがれ始めています。。(笑)
10月の予定をお知らせします。
<10月の店休日>
10月4日(月)
12日(火) *11日(月)は祝日なので営業し、翌火曜日をお休みとさせていただきます。
18日(月)、19日(火)
25日(月)
10月3日(日)の「ふれあい朝市」、久しぶりの出店です。
栃木の有機農家・酒井さんの新米を引っさげての出店となります!(笑)
今は、ちょうど端境期のようで、あんまり野菜が豊富にそろわないのですが、
ごぼう、にんじん、たまねぎなど、手に入る野菜を中心にメニューを考えようと思います。
また、メニューが決まったらブログにアップいたします。
それにしても、この不安定な天候の中、
お米や野菜・果物などなど、一生懸命作ってくださった方々。。
本当に頭が下がります。
そして、この暑さの中、一生懸命お仕事されてきたみなさん。。
本当にお疲れさまです。。
感謝の気持ちをこめて、みなさんのココロとカラダが元気になるようなおいしいものを
作れるようにがんばりたいと思います。
ではでは、
今月もどうぞよろしくお願いいたします。
キッチンとちの木&とちの実。
2010年09月26日
秋のひとこま
だいぶ涼しくなってきたので、
日中に散歩に行きました。
秋の散歩はとても気持ちがいいです。
山や、空や、雲や、緑が、
とてもきれい。
『自然』って、
なんて素晴しく美しいバランスを持っているんだろうと、
惚れ惚れします。
気持ちの良い風に吹かれながら、
少し木陰で一休み。
「いい景色だなぁ」と写真を撮りました。
となりを見ると、
犬も一緒にひとやすみ。
右向き。
左向き。
後ろ向き。
たそがれ中(笑)。
2010年09月25日
秋の風~
外は、めっきり秋らしくなってきました。
秋といえば、運動会の季節。
今日も、近くの保育園で運動会。
先生方のお昼のお弁当をよいこらよいこらお作りして、お届けしました。
お弁当を出し終わって外に出たら、
秋の風がなんとも心地よい。。
庭のとちの木がザザッ、ザザッと動くさまは、
なんだかココロが揺さぶられる思いがします。
ぬけるような空の青さもすがすがしく、頭の痛みも飛んでいきました。
ちなみに、風の強さに洗濯物も飛ばされていましたが。。(苦笑)
あまりに風が強いので、
あっという間に秋が吹き飛ばされてしまいそうですが、
秋を楽しみながら、来る冬を、穏やかなあたたかい気持ちで迎えたいものです。
今日みたいなこんな日は、
ゆっくりのんびり月でも見ながら、
焼酎でも飲みたいな~(笑)。
気持ちがお酒に向き始めたら、全快の兆候ですな!
2010年09月24日
回復中。
今日、お医者さんに行ってきました。
良くなってきているようです。
痛みも時期にひくだろうとのこと、一安心。
お医者さんに「大丈夫ですよ~」と言われると、一気に気持ちが緩み、
痛みがひいていくような気がします。
やはし、”病は気から”なのかな。。
夜は、気分転換に、父と犬と散歩。
外はだいぶ寒くなってきました。
今日は日中も寒く感じたけど、夜はもっと寒い。
一気に冬モード。
「おい、ナル、ミル(犬の名前)。
そんな毛皮着てると、動物愛護協会に訴えられるぞ!」
と、父。
お父さん。
”毛皮”じゃないんですよ。
地毛ですよー。
犬毛ですよー。
こう見えても、犬なんですよー。
その”毛皮”を脱がそうとした日には、
あなたが訴えられますよー。
またまた、頭を抱えた私でした。。(笑)。
今日は、笑いながら眠りにつけそうです。
良くなってきているようです。
痛みも時期にひくだろうとのこと、一安心。
お医者さんに「大丈夫ですよ~」と言われると、一気に気持ちが緩み、
痛みがひいていくような気がします。
やはし、”病は気から”なのかな。。
夜は、気分転換に、父と犬と散歩。
外はだいぶ寒くなってきました。
今日は日中も寒く感じたけど、夜はもっと寒い。
一気に冬モード。
「おい、ナル、ミル(犬の名前)。
そんな毛皮着てると、動物愛護協会に訴えられるぞ!」
と、父。
お父さん。
”毛皮”じゃないんですよ。
地毛ですよー。
犬毛ですよー。
こう見えても、犬なんですよー。
その”毛皮”を脱がそうとした日には、
あなたが訴えられますよー。
またまた、頭を抱えた私でした。。(笑)。
今日は、笑いながら眠りにつけそうです。
2010年09月23日
わたくしごとですが。。
頭が痛いです。
このところずっと、痛いです。
ときどき激痛が走ります。
そのたびに頭を抱えているので、
林家さんぺい師匠のような格好が、
「トレードマークになってきたな」と
父に言われました。
悪い冗談です。。
思い当たるふしとしては、
最近”帯状疱疹”とやらになりました。
お医者さんによると、疲れとストレスからなるんだそうです。
そちらも思い当たるふしがあります。。(苦笑)
その原因を取り除けるくらいだったら、
最初から病気になんてならないのです。。
今日はたくさんのご予約があって、とても忙しかったのですが、
頭を抱えつつもなんとか無事今日が終わりました。
疲れているせいか、とても弱気で陰気な私でした。。。
なんだか、ごめんなさい。。。
このところずっと、痛いです。
ときどき激痛が走ります。
そのたびに頭を抱えているので、
林家さんぺい師匠のような格好が、
「トレードマークになってきたな」と
父に言われました。
悪い冗談です。。
思い当たるふしとしては、
最近”帯状疱疹”とやらになりました。
お医者さんによると、疲れとストレスからなるんだそうです。
そちらも思い当たるふしがあります。。(苦笑)
その原因を取り除けるくらいだったら、
最初から病気になんてならないのです。。
今日はたくさんのご予約があって、とても忙しかったのですが、
頭を抱えつつもなんとか無事今日が終わりました。
疲れているせいか、とても弱気で陰気な私でした。。。
なんだか、ごめんなさい。。。
2010年09月22日
やっぱり。。②
昨日の私の記事を見て、父が言いました。
「逆なんじゃないか?
向こうの人が川岸まで来るんじゃなくて、
こっちが川岸まで行けるときなんじゃないか?」
と言ってきました。
なるほど。
確かにそうかもしれません。。
この世の私たちは、普段は川岸まで行けないけれど、
お彼岸のときは三途の川の川岸まで行くことを許されて、
ご先祖様に会えるときなのではないか、と。
せっかく会うんだからと、
相手が喜ぶように、
お線香や、お花やおはぎなんかを用意していくのかな。。
まぁ、そんなに深く考えることもないのかなーと思いますが、
いったん考えはじめると自分なりの着地点を求めてしまう性でして。。
(正しい・間違っているは別にして・・苦笑)。
今日は、連休明け。
やることはたくさんある。。
こんなこと考えてる場合じゃない?!
いやいや、こういうことも大事よ。。
そんなこんな思いながら、今日もスタートです。
がんばろーー!!(笑)
「逆なんじゃないか?
向こうの人が川岸まで来るんじゃなくて、
こっちが川岸まで行けるときなんじゃないか?」
と言ってきました。
なるほど。
確かにそうかもしれません。。
この世の私たちは、普段は川岸まで行けないけれど、
お彼岸のときは三途の川の川岸まで行くことを許されて、
ご先祖様に会えるときなのではないか、と。
せっかく会うんだからと、
相手が喜ぶように、
お線香や、お花やおはぎなんかを用意していくのかな。。
まぁ、そんなに深く考えることもないのかなーと思いますが、
いったん考えはじめると自分なりの着地点を求めてしまう性でして。。
(正しい・間違っているは別にして・・苦笑)。
今日は、連休明け。
やることはたくさんある。。
こんなこと考えてる場合じゃない?!
いやいや、こういうことも大事よ。。
そんなこんな思いながら、今日もスタートです。
がんばろーー!!(笑)
2010年09月21日
やっぱり。。
おはぎです(笑)。
昨日はお店がお休みでしたが、
お彼岸なので、やっぱり、おはぎを作りました。
休日の日はいつもゆっくり起きてくる母が、
珍しく早く(というか平常通り)に起きてきて、
おはぎを作ることになりました。
休日と言えば、いつも眠り続ける母が(笑)、
昨日の疲れをものともせずにおはぎを作っている姿から、
「おはぎだけは・・・」
という執念に近いものを感じました(笑)。
お墓参りに車の中で、
「お彼岸」ってどういう意味なんだろう、
と思い、考えていました。
「彼岸」という字から、なんとなく川岸をイメージするけど、
もしかしたら、三途の川のことじゃなかろうか。。。
死んだ人が渡った三途の川。
川の向こうの世界はよくわからないけれど、
お彼岸の時には、あっちに逝った人が川岸まで来てくれて、
こっちの世界に向かって手を振ってくれている時なのかな。
それに応えるために、お墓参りに行くのかな?と想像していました。
勝手な想像なので、実際はどうかわかりませんが(笑)、
そうに考えると、一年にそう何度もご先祖様に会える機会があるわけではないので、
よいこらよいこらおはぎをつくる母の姿も納得できるのでした。
でも、なぜ”おはぎ”なんだろう。
もち米にあんこをのせると、
うちのおはぎはいつも”つぶあん”のせいか、
なんとなく大仏様(菩薩様?観音様?よくわからないけど、お寺にある仏像)の顔の
ように見えてくるので、
だからおはぎなのか?とお参りをしながら、
おはぎと仏像の顔を見比べて、
「うふっ」と笑ってしまった不謹慎な私なのでした(苦笑)。
そんな取り留めのない、
どうでもいいっていえばどうでもいいようないろんなことを
ゆっくり好きなだけ考えていられる休日が好きです。
その後、おはぎを親戚に配ったり、
お彼岸らしい休日の過ごし方をしたのですが、
午後くらいから熱が出始め、私はダウン。。
せっかくの連休の夜をお布団の中で過ごすこととなったのでした。。。
たくさん寝たので、今日は少し体調が回復したようです。
2010年09月20日
本日はお休みです。
今日は、
敬老の日です。
彼岸入りです。
ということで、祝日です。
ですが、月曜日のため、定休日です。
ちなみに、明日は第3火曜日で、定休日です。
連休です。
よろしくお願いいたします。。。
月曜日でも、祝日のときは営業するときもあるため、
何人かのお客さんに聞かれたのですが、
今月はお休みとさせていただきます。
何卒ご了承くださいませ。。
今日は、雨です。
敬老の日です。
彼岸入りです。
ということで、祝日です。
ですが、月曜日のため、定休日です。
ちなみに、明日は第3火曜日で、定休日です。
連休です。
よろしくお願いいたします。。。
月曜日でも、祝日のときは営業するときもあるため、
何人かのお客さんに聞かれたのですが、
今月はお休みとさせていただきます。
何卒ご了承くださいませ。。
今日は、雨です。
2010年09月19日
ひょうたん
収穫されたひょうたん。
ぶらさがっているひょうたん。
かわいいな。。
とても愛らしいただずまい。。
なんだか、ひょうたんって、憎めない。
表情がちょっとおどけてて、ひょうきんだ。
うひょひょひょーーーーーーーーたん。
ひょうきんな、ひょうたん。
なんか、いいじゃない!(笑)
2010年09月18日
半年。
ブログをはじめて今日で半年です。
少し、改めて、インターネットというものを考えています。
ブログをはじめたことで、
出会えた人・ことがたくさんありました。
知ってもらえたこともたくさんありました。
それは、素直に嬉しかったです。
でも、あえて言うなら、
ネットの中には、土がないのかな。
そんな気がしています。
ネットは、海なんだなと思うのです。
情報という名の「海」なんだな、と。
海の中を泳ぐのは、新しい発見や、出会いがあって、楽しい、面白い。
重力をあまり感じないので、自分が軽くなった気がして、
どこへでも泳いでいけるように錯覚してしまう。
でも、広くて、深くて、キリがなくて、立とうとしても、地に足がつかない。
ネットはどこでもない。
ネットによってつながることはできるけれど、
ネット自体は、どこでもない。
時々、ネットの海を漂流している自分に気づくのです。
そして、ふと思い出すのです。
私は海水浴を楽しみたくて、ネットという海に乗り出したのではなかったのだと。
私が思い描く大地に辿り着くために、飛び込んだのだと。
誤解を招くといけないのですが、
ネットというツールを否定するつもりは全然ありません。
情報は必要だし、それによって恩恵を受けているのも事実です。
時代というひとつの流れだとも思います。
先日の誕生日に、バースデーカードをもらいました。
そこには、
「人生って、自分で選択しているようで、案外自然と流れているだけかもしれないね」
とメッセージがありました。
そうかもしれないと、思いました。
「ネット」というのも、ひとつの時代の流れで、
時代という海の中に私たちはいて、それぞれ目指す大地があるけれど、
大きな流れの中では、流れるしかないような気もしています。
その結果、どこかに自然と到達している、そんなものかもしれません。
流れに身を任せるよりほかにないのかもしれないけれど、
ただ流されるのではなく、帆をかかげて、風をよみ、
暗闇の中でも、星を羅針盤にして、
なんとか、目的の大地に足を踏み入れたいものです。
ネット以前にある、「言葉」というツールを、
生かすための、
活かすための、
ネットであり、ブログであったらいいなと思いました。
と、いうわけで、
いつもブログを見ていただいているみなさん、
どうもありがとうございます。。
もしよろしければ、今後ともお付き合いくださいませ。。
少し、改めて、インターネットというものを考えています。
ブログをはじめたことで、
出会えた人・ことがたくさんありました。
知ってもらえたこともたくさんありました。
それは、素直に嬉しかったです。
でも、あえて言うなら、
ネットの中には、土がないのかな。
そんな気がしています。
ネットは、海なんだなと思うのです。
情報という名の「海」なんだな、と。
海の中を泳ぐのは、新しい発見や、出会いがあって、楽しい、面白い。
重力をあまり感じないので、自分が軽くなった気がして、
どこへでも泳いでいけるように錯覚してしまう。
でも、広くて、深くて、キリがなくて、立とうとしても、地に足がつかない。
ネットはどこでもない。
ネットによってつながることはできるけれど、
ネット自体は、どこでもない。
時々、ネットの海を漂流している自分に気づくのです。
そして、ふと思い出すのです。
私は海水浴を楽しみたくて、ネットという海に乗り出したのではなかったのだと。
私が思い描く大地に辿り着くために、飛び込んだのだと。
誤解を招くといけないのですが、
ネットというツールを否定するつもりは全然ありません。
情報は必要だし、それによって恩恵を受けているのも事実です。
時代というひとつの流れだとも思います。
先日の誕生日に、バースデーカードをもらいました。
そこには、
「人生って、自分で選択しているようで、案外自然と流れているだけかもしれないね」
とメッセージがありました。
そうかもしれないと、思いました。
「ネット」というのも、ひとつの時代の流れで、
時代という海の中に私たちはいて、それぞれ目指す大地があるけれど、
大きな流れの中では、流れるしかないような気もしています。
その結果、どこかに自然と到達している、そんなものかもしれません。
流れに身を任せるよりほかにないのかもしれないけれど、
ただ流されるのではなく、帆をかかげて、風をよみ、
暗闇の中でも、星を羅針盤にして、
なんとか、目的の大地に足を踏み入れたいものです。
ネット以前にある、「言葉」というツールを、
生かすための、
活かすための、
ネットであり、ブログであったらいいなと思いました。
と、いうわけで、
いつもブログを見ていただいているみなさん、
どうもありがとうございます。。
もしよろしければ、今後ともお付き合いくださいませ。。
2010年09月17日
いろどり野菜!
世の中には、いろんな野菜があるものです。
みどりナス、しろナス、ふつうのナス。
完熟して黄色くなったゴーヤ。
完熟して赤くなったピーマン。
お辞儀をしたきゅうり。
色とりどりで、とても鮮やか。
夏は、華やかな野菜が多い。
そんなエネルギッシュな夏も、もう終わりそうですね。
夏野菜は、たらふく食べたので、
そろそろ秋冬の野菜がたべたいな。。
今年の異常な暑さの影響が気になるところです。
でも、この厳しい環境に耐えて実った野菜たちは、
地味だけど、底力のある野菜に育つ気がします。
そのエネルギーをもらって、秋冬もがんばりたいと思います!
ちなみに、上の野菜は、ナスは煮浸し、
ピーマンとゴーヤは炒めて、きゅうりはサラダで食べました。
ナスは、味はナスだけど、食感がちょっとずつ違いました。
その特徴にあわせた料理をしたら、なお良かったのかも。。
2010年09月16日
ゴーヤの佃煮
ご近所さんにゴーヤをたくさんいただきました。
そこのおばあちゃんが、「佃煮にするとおいしいよ」と言うので、
佃煮を作りました。
くたくたに煮てあるので、苦さはあまり感じません。
それでも、シャキっとした食感は少し残っているので、いい感じです。
日本人って、やっぱり、
私も含めて、
こうゆう、”ごはんに合うおかず”が好きなんだなー(笑)。
朝ごはんで食べましたー♪
2010年09月15日
ズッキーニのきんぴら風
ズッキーニをきんぴら風に炒めました。
味付けは、みりん、しょうゆ、玄米酢、唐辛子。
スライスしたズッキーニを塩もみして水分をだして、
それからごま油で炒めて、上記の味付け。
みりん、しょうゆまででもよかったのですが、
酢をきかせたほうがおいしいかも?と思って、玄米酢少々、
唐辛子入れたら、味がしまるんじゃないかと思って、唐辛子少々。
最後に白ゴマふって、見た目良し。
ご飯のおかずに合う一品となりました。
昨日農家さんが、「もうズッキーニは終わりだよー」と。
ズッキーニがたくさんあるからーと思って、
どんどん消費しようと、「ズッキーン」とするほど食べたズッキーニだけど(笑)、
いざ終わりを迎えると少しさみしい気もする。。
でも、そうやって季節は移り変わっていくんだな。。
一抹のさみしさを覚えつつも、
新たな出会いが待つ明日への希望と、
ふたたび訪れるであろう再会への期待を胸に、
今を、毎日を、生きていくことの喜びに満たされるのでした。
またまた、ズッキーーーン(笑)。
いや、ズッシーーーン、ジンワリ。。
そして、ヒタヒタヒタ。
失礼しました。
2010年09月14日
「脱皮」
ひとつ年をとった記念に、
というわけではないのですが、
もう3ヶ月も伸ばし放題なので、髪を切りに行ってきました。
もちろん、いつもの、『島崎サービス』さんです。
今回のテーマは、「脱皮」。
12日までは、誕生日だし、生まれ変わったつもりで「新生」をテーマにしようと思っていたのだけど、
13日切る当日になって、なんか違うなと思って、「脱皮」にしました。
生まれ変わるんじゃなくて、本来の自分を取り戻す感覚。
最近「考えすぎる」と言われることが多かった私。
考えすぎることによって、自分の空気が澱んでいる気がしたので、
その澱んだ空気を一枚剥いでもらいました。
切り終わった後、呼吸が不思議と楽になって、
「ふーーーっ」と大きく深呼吸すると、
「すーーーーっ」と新鮮な空気が入ってきました。
やっぱり酸素不足はいけません。
脳の回転も鈍りますから。
前髪を多めに切って、”かわいい感じ”になりました(笑)。
この髪型だと、顔がはっきりでるので、
笑顔でないとさまにならない感じ。。
澄んだ気持ちで、すがすがしい笑顔で、
日々を送っていけたらいいなと思いました。
毎日同じようで、毎日違う。
だからこそ、澄み渡る空のように青く生きたいと思うのでした。
青春だな。。(笑)
今日は快晴です。
というわけではないのですが、
もう3ヶ月も伸ばし放題なので、髪を切りに行ってきました。
もちろん、いつもの、『島崎サービス』さんです。
今回のテーマは、「脱皮」。
12日までは、誕生日だし、生まれ変わったつもりで「新生」をテーマにしようと思っていたのだけど、
13日切る当日になって、なんか違うなと思って、「脱皮」にしました。
生まれ変わるんじゃなくて、本来の自分を取り戻す感覚。
最近「考えすぎる」と言われることが多かった私。
考えすぎることによって、自分の空気が澱んでいる気がしたので、
その澱んだ空気を一枚剥いでもらいました。
切り終わった後、呼吸が不思議と楽になって、
「ふーーーっ」と大きく深呼吸すると、
「すーーーーっ」と新鮮な空気が入ってきました。
やっぱり酸素不足はいけません。
脳の回転も鈍りますから。
前髪を多めに切って、”かわいい感じ”になりました(笑)。
この髪型だと、顔がはっきりでるので、
笑顔でないとさまにならない感じ。。
澄んだ気持ちで、すがすがしい笑顔で、
日々を送っていけたらいいなと思いました。
毎日同じようで、毎日違う。
だからこそ、澄み渡る空のように青く生きたいと思うのでした。
青春だな。。(笑)
今日は快晴です。
2010年09月13日
かぼちゃプリン
先日、草刈中に負傷したかぼちゃが
我が家に搬送されてきました。
オーソドックスに煮物にでもしようかと思ったのですが、
「暑いので、プリンとかいいんじゃない?」
と思い立って、かぼちゃのプリン作りました。
シナモンを入れて、少しスパイシーな感じにしたら、
けっこう大人な感じに。。
でも、試食された方々には、
「カレーの味がする(かぼちゃの味もするけど)」と言われたので、却下(笑)。
私的には、けっこういけるんじゃないの??という感じもするのですが、
商品化するには少し改良が必要なようです。。
あまった半端なかぼちゃはダメにするともったいないので、
あずきとこれまた半端なさつまいもとまぜて、
コロッケにしました。
コロッケは、冷凍保存ができるから◎。
こんどの味はどんなかな。。?
2010年09月12日
ハピバスデ。
トゥーミー(笑)。
今日は、私のお誕生日です。
32回目です。
またひとつ、年をとれました(笑)。
ありがたいことです。
身近な人からのおめでとうはもちろん、
遠方から届く嬉しい手紙や電話、メールに感謝。
今日は私が生まれた記念日なので、
私に「おめでとう!」だけど、
私が生まれたのは親のおかげで、みんなのおかげで、
そして今元気にこうして生きていること、
本当に本当に感謝だなと思います。
だから、私にとっては、今日は「ありがとう!」の日です。
感謝の気持ちをこめて、
今日は飲んじゃおうかな~(笑)。
っていうか、飲んでもいいよね!
たくさんの”おめでとう”をどうもありがとうございました。
また1年、がんばって生きていきたいと思います。
これからもどうぞよろしくお願いいたします!
今日は、私のお誕生日です。
32回目です。
またひとつ、年をとれました(笑)。
ありがたいことです。
身近な人からのおめでとうはもちろん、
遠方から届く嬉しい手紙や電話、メールに感謝。
今日は私が生まれた記念日なので、
私に「おめでとう!」だけど、
私が生まれたのは親のおかげで、みんなのおかげで、
そして今元気にこうして生きていること、
本当に本当に感謝だなと思います。
だから、私にとっては、今日は「ありがとう!」の日です。
感謝の気持ちをこめて、
今日は飲んじゃおうかな~(笑)。
っていうか、飲んでもいいよね!
たくさんの”おめでとう”をどうもありがとうございました。
また1年、がんばって生きていきたいと思います。
これからもどうぞよろしくお願いいたします!
2010年09月11日
愛用中。
ブックカバーです。
夏らしい涼しげな水色の生地に、
懐かしいアイスキャンディーがプリントされた、とってもかわいいブックカバーです。
夏の前のふれあい朝市で購入した、
『しまださんち』の手作りブックカバー。
手ぬぐいで作ってらっしゃるので、
手になじんで使いやすいし、
ざぶざぶ洗えるのも嬉しい!
本屋さんで
「ブックカバーおかけしますか?」
といつも聞かれるけれど、
紙がもったいないからお断りします。
でも、正直、
「自分がどんな本を読んでいるのかあんまり人に見られたくないなー」
という気持ちもあって(別に見られて恥ずかしい本を読んでるわけじゃないけど・・笑)、
表紙カバーをはずして読んだりしてたのですが、
このブックカバーを手に入れてからは、
堂々と本を読めるようになりました。
一本、「あたり」が出ました~(笑)。
2010年09月10日
いただきもの
群馬温泉「やすらぎの湯」の無料券をいただきました。
3枚も!
うちから車で3分くらいの距離なので、
早速行ってきました。
夏は「暑い暑い」と体を冷やすものばかり食べているので、
意外とカラダは冷えて疲れています。
ぬるいお湯にゆっくり浸かって、
足湯にもゆっくり入って、
カラダを芯から温めよう。。
帰宅後は、やっぱりビール♪
結局カラダは冷えちゃうじゃん、と思いつつ(苦笑)、
風呂上りのビールはやめられまへんな~と、
おいしいおいしいビールをいただきました(笑)。
さっぱり、ぐびぐび、
いいリフレッシュになりました。
日本人には、やっぱり温泉ですな!
2010年09月09日
パンパカパーン♪パン!!
パンパカパーン♪
念願のパン、食べました!
imaさんの直焼きマフィン。
3つ入りだったのに、すでに3つ目。
おいしい。。
しあわせだわー。
imaさんは、ふれあい朝市で知った天然酵母のパン屋さん。
ひとつひとつ丁寧に作っているのが伝わってくる、
素材を大事にしておいしいパンを作ってくださっている、
かわいくて”素的”なパン屋さん。
お店は毎週水曜日のみの営業なので、なかなか行けなかったのだけど、
昨日は、雨でお店も少し静かだったので、
外出させてもらって、伊勢崎まで行ってきました。
ほかにも、ビスコッティとかハード系のパンも買ったんだけど、
帰りの車の中で食べちゃった。。
なので写真はありません。
「伊勢崎までパン買いに行って、お土産これだけ??」
と家族から言われちゃいました(苦笑)。
パンでおなかいっぱいになってしまったので、
夕飯食べれませんでした。
でも、寝る前に一口ビール飲んだら、
またパン食べたくなっちゃって、
直焼きマフィン、朝を待たずに食べてしまった。
ということで、マフィン、終了(幸)。
imaさんと、はじめてゆっくりお話ができました。
帰り際に、「あんまり考えすぎないようにね~」と声をかけてもらい、
私という人間を見抜かれたな~と思いました(笑)。
このところ、みんなにおんなじこと言われるな。。
確かに私はいろいろ考えてしまうたちなので、
考え過ぎないように・・・とも思うのですが、
考えるのも、考えながらやるのも、やっぱり好きな私なので、
いろんなものを背負い過ぎず、素直な自分を保てる程度に考えながら、
自分が納得してやれることをやっていこうと思いました。
imaさんが、
「等身大の自分じゃないとボロがでるよね」
と言っていたけど、ホントにその通りだと思う。
自分は自分でしかないから、
無理して、自分じゃないものをやろうとしたり、
意識して、自分を変えたりするのはやめよう。
等身大で、自然体。
自分に嘘はつけないのだと思いました。
2010年09月08日
突き動かされる。
生きていると、
突き動かされる瞬間がある。
日常の中で、
さりげなくその瞬間は訪れる。
だから、
突き動かされる。
突然、
偶然、
必然、
自然。
全然、
断然、
当然、
愛、だな。
突き動かされる瞬間がある。
日常の中で、
さりげなくその瞬間は訪れる。
だから、
突き動かされる。
突然、
偶然、
必然、
自然。
全然、
断然、
当然、
愛、だな。
2010年09月07日
深夜の買い物
公共料金の支払いを忘れていて、
寝る前の23時過ぎに、
父があわててコンビニへ行った。
帰ってきたときに、
手にビニール袋をさげていたので、
何かいいもの♪でも買ってきたのかな??
と中をみると。。
ビールのおつまみと、『論語』。
へぇ。
いつも買っている雑誌をとろうと雑誌コーナーへいくと、
この本が置いてあって、つい手にとってしまったんだとか。
最近のコンビニには、こんな本も置いてあるのですね。。
なんとなく、嬉しかったです。
やっぱり人は、”言葉”を求めているのだと思いました。
一番最初のページより。
「人生の最上の楽しみ」
学問(人間の生き方)を学び、
それを反復すれば自分のものとなり、
こんなに喜ばしいことはない。
また、学んでいると、
同学同志の友が遠方からも訪ねてきたりして、
ともに語らい合い、いっそう楽しくなるではないか。
と。
おなかが減ると何か食べたいように、
苦しいことや悲しいこと、さみしくなったりすることがあると、
ココロがすり減って、”言葉”が欲しくなるのではないかと思いました。
おなかを満たすごはんをつくると同時に、
ココロを満たす言葉をつむいでいけたらいいなと思いました。
本は、ココロの栄養です。
寝る前の23時過ぎに、
父があわててコンビニへ行った。
帰ってきたときに、
手にビニール袋をさげていたので、
何かいいもの♪でも買ってきたのかな??
と中をみると。。
ビールのおつまみと、『論語』。
へぇ。
いつも買っている雑誌をとろうと雑誌コーナーへいくと、
この本が置いてあって、つい手にとってしまったんだとか。
最近のコンビニには、こんな本も置いてあるのですね。。
なんとなく、嬉しかったです。
やっぱり人は、”言葉”を求めているのだと思いました。
一番最初のページより。
「人生の最上の楽しみ」
学問(人間の生き方)を学び、
それを反復すれば自分のものとなり、
こんなに喜ばしいことはない。
また、学んでいると、
同学同志の友が遠方からも訪ねてきたりして、
ともに語らい合い、いっそう楽しくなるではないか。
と。
おなかが減ると何か食べたいように、
苦しいことや悲しいこと、さみしくなったりすることがあると、
ココロがすり減って、”言葉”が欲しくなるのではないかと思いました。
おなかを満たすごはんをつくると同時に、
ココロを満たす言葉をつむいでいけたらいいなと思いました。
本は、ココロの栄養です。
2010年09月06日
揺らぎの中に生きている。。
先日、ある方のブログを見ていたら、
ズーーーん、ときました。
”揺らぐ”ということに。
私は、
私たちは、
揺らぎながら、生きている。
という、まぎれもない事実に、
ズーーーんと、きてしまいました。。
勝手に文章、拝借してしまいますが、
「作る人間、一人ひとりが、
たったいま、みんな別々に揺らぎながら生きていて、
それでも食べ物を作っているということが大事。
生きて揺らいでいるというところが、大事なんだよね。
お財布の経済事情もありましょう。
時間の都合もありましょう。
体調の良しあしや、好みの違いもありましょう。
材料の質の違いもありましょう。
その中に、確固たるレシピやマニュアルは存在しませんね。
実用書的コンセプトも存在しません。
みんな別々の時空を生きているということが大事なのであって、
それでも、みんな生きていくということが大事なのであって、
料理なんか全然大事じゃないですよ。」
先日、お亡くなりになった林弘子さんのブログより抜粋されたものを抜粋。
なんだか、すごく、そうだなーと思ったのです。
おいしいものを作るのって、
すごく難しいな、と思うし、
すごく楽しいな、とも思います。
「おいしい」といわれるレシピがあっても、
「おいしい」といわれたレシピがあっても、
必ずしもおいしいものがつくれるとは限らない。
自分の精神状態や体調なんかも大きく影響するし、
素材の状態や道具の状態にもよる。
もちろん、その反対も成立するわけで、
テキトーに作ったのに、すごくおいしいときもあって、
だから、難しいけど、楽しいような気がします。。
これは、料理の世界だけではないですね。
昔の私は、すごく上昇志向で、
「絶対こうなりたい」とか、
「絶対こうしたい」とか、
”絶対”という言葉を惜しげもなく使っていたように思います。
そのくらい強く思わなければ、実現しないとも思っていました。
ある意味、”揺らぐ自分”を封じ込めるというか、
認めないように生きていた時期がありました。
今も、その名残はあるかもしれないけれど、
以前に比べれば、ずいぶん、”揺らぐ”ことに寛容になれてきた気がします。
”絶対”と決めないことによる、
可能性の広がり、懐の奥深さ、自由という強さ。
”揺らぐ”ことの不安定さに、
時々胸が苦しくなることがあるけれど、
それが生きているってことなのかな、と思います。
絶対的な正解があれば、迷うことがなくなって、楽になるような気がして、
「ああすればこうなる」という正解を求めてしまうけれど、
いろんなものの関係性の中に生きている限り、
たったひとつの正解なんて存在しないんだなぁと思うのです。
自分が揺らぐように、他者も、自分を取り巻く環境も揺らいでいて、
その揺らぎの中に、生きているんだということ。
その状態をイメージすると、
やっぱり”根”っていうのが大事なのかなと思うのです。
”海の中のわかめ”みたいなかんじで(笑)。
根がしっかりしていれば、
踊るように舞うように、
揺らぐことさえ楽しんで生きられるような気がしました。
揺らぐからこそ、
何かと触れ合い、さまざまな出会いがあって、
それこそが生きているってことなのかなと思いました。
生きているって、不思議だなぁと、
しみじみと思うのでした。。。
ズーーーん、ときました。
”揺らぐ”ということに。
私は、
私たちは、
揺らぎながら、生きている。
という、まぎれもない事実に、
ズーーーんと、きてしまいました。。
勝手に文章、拝借してしまいますが、
「作る人間、一人ひとりが、
たったいま、みんな別々に揺らぎながら生きていて、
それでも食べ物を作っているということが大事。
生きて揺らいでいるというところが、大事なんだよね。
お財布の経済事情もありましょう。
時間の都合もありましょう。
体調の良しあしや、好みの違いもありましょう。
材料の質の違いもありましょう。
その中に、確固たるレシピやマニュアルは存在しませんね。
実用書的コンセプトも存在しません。
みんな別々の時空を生きているということが大事なのであって、
それでも、みんな生きていくということが大事なのであって、
料理なんか全然大事じゃないですよ。」
先日、お亡くなりになった林弘子さんのブログより抜粋されたものを抜粋。
なんだか、すごく、そうだなーと思ったのです。
おいしいものを作るのって、
すごく難しいな、と思うし、
すごく楽しいな、とも思います。
「おいしい」といわれるレシピがあっても、
「おいしい」といわれたレシピがあっても、
必ずしもおいしいものがつくれるとは限らない。
自分の精神状態や体調なんかも大きく影響するし、
素材の状態や道具の状態にもよる。
もちろん、その反対も成立するわけで、
テキトーに作ったのに、すごくおいしいときもあって、
だから、難しいけど、楽しいような気がします。。
これは、料理の世界だけではないですね。
昔の私は、すごく上昇志向で、
「絶対こうなりたい」とか、
「絶対こうしたい」とか、
”絶対”という言葉を惜しげもなく使っていたように思います。
そのくらい強く思わなければ、実現しないとも思っていました。
ある意味、”揺らぐ自分”を封じ込めるというか、
認めないように生きていた時期がありました。
今も、その名残はあるかもしれないけれど、
以前に比べれば、ずいぶん、”揺らぐ”ことに寛容になれてきた気がします。
”絶対”と決めないことによる、
可能性の広がり、懐の奥深さ、自由という強さ。
”揺らぐ”ことの不安定さに、
時々胸が苦しくなることがあるけれど、
それが生きているってことなのかな、と思います。
絶対的な正解があれば、迷うことがなくなって、楽になるような気がして、
「ああすればこうなる」という正解を求めてしまうけれど、
いろんなものの関係性の中に生きている限り、
たったひとつの正解なんて存在しないんだなぁと思うのです。
自分が揺らぐように、他者も、自分を取り巻く環境も揺らいでいて、
その揺らぎの中に、生きているんだということ。
その状態をイメージすると、
やっぱり”根”っていうのが大事なのかなと思うのです。
”海の中のわかめ”みたいなかんじで(笑)。
根がしっかりしていれば、
踊るように舞うように、
揺らぐことさえ楽しんで生きられるような気がしました。
揺らぐからこそ、
何かと触れ合い、さまざまな出会いがあって、
それこそが生きているってことなのかなと思いました。
生きているって、不思議だなぁと、
しみじみと思うのでした。。。
2010年09月05日
2010年09月04日
野菜ごはん
今日は朝からバタバタ。。
やっとごはんです。
手抜きのごはん。
野菜を入れたごはん。
あまったごはんに、
塩もみしたきゅうり、ズッキーニ、
ゆでたオクラ、とうもろこし、
刻んだ赤ピーマンで色付けして、
梅酢であえて、さっぱり夏ごはん。
風味付けにゴマをぱらぱら。
これでりっぱなごはん!
今日の一押しは、とうもろこし。
北海道から届いたばかりのとうもろこしは、
粒が大きくて、あまーい(笑)。
ごはんを食べて一息ついたら、思い出しました。
今日は、ふれあい夜市!
18時からだそうです。
最近、昼は暑いけれど、
夜は涼しい風が吹いているので、きっと気持ちのいい夜になるんじゃないかしら。。
面白いコントなどの出し物♪、
おいしい食べ物なんかがでているようなので、
ご都合のよろしい方は行ってみてください。
会場は、いつも「ふれあい朝市」が開かれている
中医研さんの駐車場です。
それにしても暑いな~。。。
2010年09月03日
毎日のこと。
仏壇へのお供え。
炊き立てのご飯を一番によそって、
お水を取り替えて、
チーーーン。。
昔はお線香のにおいって、
なんだかおばあちゃんのにおいみたいで、
あんまり好きじゃなかったけど、
最近は、妙に落ち着くし、
くゆらくゆらしていく煙を見ているのが好きです。
バタバタしていて、
これを忘れてしまった日は、
なんとなくお客さんが少ない気がする。。
一日の中で、このひと呼吸が大切なように感じたりしています。
おじいちゃん、おばあちゃん、ご先祖様、
今日も一日見守ってくださいね。。
2010年09月02日
トカゲ。。
布団の中に、トカゲがいました~。。
捕獲成功!
なんともかわいらしいお姿。
家の周りにいつもちょろちょろしているので、
免疫ができているのか、
うろたえることなく
接することができました。
そんなこと、なんの自慢にもなりませんが。。(苦笑)
窓を開けて、
さようなら~♪
捕獲成功!
なんともかわいらしいお姿。
家の周りにいつもちょろちょろしているので、
免疫ができているのか、
うろたえることなく
接することができました。
そんなこと、なんの自慢にもなりませんが。。(苦笑)
窓を開けて、
さようなら~♪
2010年09月01日
”ネイチャー”
知りませんでした。
”自然”という言葉が、
明治以降に生まれた言葉だったなんて。
『自然と労働』という本を読んでいたら、
そうに書いてありました。
”自然”とは、
外来語である「ネイチャー」を訳すために
当てられた単語だったのだと。
そして、明治以降、
「人間の手の加えられていないもの」
という意味で西洋語の訳語として使われ始めたのだと。
違う文化を背景に持った言葉を訳すのって、
とても難しいなぁと思いました。
なんとなく雰囲気は伝わるけど、
正確に訳すというのは、不可能に近いかもしれません。
この本には、文化や宗教的な違いも書いてありました。
西洋:すべて人間を中心にして物事を考える。
東洋:生き物はすべて同格で、ただ生前の行いによって
生まれ方が違ってしまったことになっている。
中国から伝わった仏教説話では、
人間は牛や馬に生まれ変わるし、
小さな虫になってしまうことになっています。
だから人間だけが特別で、
残りのものを一括して”ネイチャー(自然)”と呼ぶ発想は、
西洋独特のもののようです。
それに対して東洋では、
「杉・猿・虫というように個別に呼び合ってきたのであり、
そのひとつが人であった。
そうでなければ人の神を敬うのと同じように、
山の神や水の神を尊ぶ風習は生まれなかったであろう」
と、筆者である内山節さんは書いています。
宗教的側面から見てみると、
発想として、根本的な違いがあるのがわかります。
「”生き物”は殺してはならない」
という戒律があるのが仏教。
「”人間”は殺してはいけない」
という戒律があるのが、ユダヤ教・キリスト教。
ちなみに、ユダヤ教・キリスト教でいう”人間”とは、
他の宗教を信ずる人は入らないそうです。
つまり、異教徒は人間ではないということです。
だから、歴史の中で、
いとも簡単に「虐殺」が行われてきたんだと思いました。
私から見れば、「人殺し」としか見えない行為も、
”異教徒は人ではない”という感覚がある人から見れば、
「異物を退治する」行為だったのかもしれません。
私たちが、自分たちに害があるであろう虫を殺すのと
同じようなものかもしれません。。
私はこのブログの中で、
何度も”自然”という言葉を使ってきたし、
何度も人間が”自然の一部”であることも書いてきました。
今一度、
思うのは、
”自然”という言葉は
人とその他のものを分けるために使う言葉ではないということ。
私たちが”自然”と感じるものが、
”自然”という言葉だけでは表現できないこと。
でも、
言葉には表現できなくても、
私たちのココロとカラダに、
脈々と受け継がれたきたものがあるように思います。
言葉なんて、一つの手段でしかありません。
大事なのは、
伝わること。
感覚として、
届くこと。
自分の血の中に流れる感覚を、
信じて生きていこうと思いました。
”自然”という言葉が、
明治以降に生まれた言葉だったなんて。
『自然と労働』という本を読んでいたら、
そうに書いてありました。
”自然”とは、
外来語である「ネイチャー」を訳すために
当てられた単語だったのだと。
そして、明治以降、
「人間の手の加えられていないもの」
という意味で西洋語の訳語として使われ始めたのだと。
違う文化を背景に持った言葉を訳すのって、
とても難しいなぁと思いました。
なんとなく雰囲気は伝わるけど、
正確に訳すというのは、不可能に近いかもしれません。
この本には、文化や宗教的な違いも書いてありました。
西洋:すべて人間を中心にして物事を考える。
東洋:生き物はすべて同格で、ただ生前の行いによって
生まれ方が違ってしまったことになっている。
中国から伝わった仏教説話では、
人間は牛や馬に生まれ変わるし、
小さな虫になってしまうことになっています。
だから人間だけが特別で、
残りのものを一括して”ネイチャー(自然)”と呼ぶ発想は、
西洋独特のもののようです。
それに対して東洋では、
「杉・猿・虫というように個別に呼び合ってきたのであり、
そのひとつが人であった。
そうでなければ人の神を敬うのと同じように、
山の神や水の神を尊ぶ風習は生まれなかったであろう」
と、筆者である内山節さんは書いています。
宗教的側面から見てみると、
発想として、根本的な違いがあるのがわかります。
「”生き物”は殺してはならない」
という戒律があるのが仏教。
「”人間”は殺してはいけない」
という戒律があるのが、ユダヤ教・キリスト教。
ちなみに、ユダヤ教・キリスト教でいう”人間”とは、
他の宗教を信ずる人は入らないそうです。
つまり、異教徒は人間ではないということです。
だから、歴史の中で、
いとも簡単に「虐殺」が行われてきたんだと思いました。
私から見れば、「人殺し」としか見えない行為も、
”異教徒は人ではない”という感覚がある人から見れば、
「異物を退治する」行為だったのかもしれません。
私たちが、自分たちに害があるであろう虫を殺すのと
同じようなものかもしれません。。
私はこのブログの中で、
何度も”自然”という言葉を使ってきたし、
何度も人間が”自然の一部”であることも書いてきました。
今一度、
思うのは、
”自然”という言葉は
人とその他のものを分けるために使う言葉ではないということ。
私たちが”自然”と感じるものが、
”自然”という言葉だけでは表現できないこと。
でも、
言葉には表現できなくても、
私たちのココロとカラダに、
脈々と受け継がれたきたものがあるように思います。
言葉なんて、一つの手段でしかありません。
大事なのは、
伝わること。
感覚として、
届くこと。
自分の血の中に流れる感覚を、
信じて生きていこうと思いました。