2010年07月22日

思索。

暑いせいか、眠れません。。

このところ、「模索」と「思索」について考えていました。
自分の想いをつづった”つれづれノート”をぱらぱらとめくっていると、
自分の走り書きの一文が目に留まりました。

「思索とは、秘められた激怒にほかならない」

著:長田弘の、『世界は一冊の本』という詩集からの抜粋の一文です。

ノートに記したのは、もう1年以上も前のことですが、
たぶん、その時、何かを感じて、書き写したのだろうと思います。

「思索とは、秘められた激怒」。

”激怒”かぁ。。
そうかもしれません。

「なんでかなぁ」となんとなく思っていたことを、
真剣に考え、なぜなのか知れば知るほど、
なぜなのかが、見えてくれば見えてくるほど、
「なんでなんだ!!(怒)」という感情が生まれてくるような気がします。

どうにもならない現状に対して、
疑問や不満を抱き、納得できず、
どうしたらいいのかと思い悩む。

悩んだところで、その流れに逆らうことができない。
それはわかっている。
流されるしかないのはわかっている。
でも、ただ流されるのではなく、
意志を持って流されたい。

いや、流されない?
”意志”という”石”がある?

”意志”を持つということは、
”石”になるということ?

もしかしたら、
流されずに、そこにとどまり、
布石となって流れを変えられるのかもしれない。。

そこに希望があるからこそ、”思索”が生じるように思います。

想いがあるからこそ、思索し、前に進もうとする。
だからこそ、怒り、苦しむ。

怒ることは苦しいことです。
無関心を装い、何も考えない方が、楽かもしれません。


でも、なぜ、人は怒るのか。


怒るのは、
きっと、
”愛”があるからではないかと思います。

愛がなければ、怒りません。怒れません。。

何かを、誰かを、もしかしたら自分を、
想うところから思索は始まり、
激怒にたどり着くのかもしれません。

そして、その”激怒”の先に、
何が待っているのか。。

”歓喜”や”幸福”が待っていることを信じてやみません。

想えば届く。
願えば叶う。

そう信じたいものです。。


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Posted by とちの実 at 03:49│Comments(0)徒然なもの
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