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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2010年04月29日

増量中。

お店の前にある、
「一休さん」と「かえるさん」のお賽銭が
少しずつ増えています。
以前ブログに載せたからでしょうか・・・?



お客さんが帰るときに、
お賽銭をして、
手を合わせていかれます。

その姿を見ると
なんとなくほほえましくて、
さらさらとココロが流れます。


私の父は、競輪選手でした。
私が小学校の高学年まで現役で走っていました。

競輪は、今は”スポーツ”という感じが強いですが、
昔はもっと荒々しくて、走りながらカラダとカラダをぶつけ合い、
”格闘技”さながらといった感じでした。
だから、落車して怪我をして帰ってくることもしばしば。
肋骨、鎖骨、けっこういろいろなところを折り、
しょっちゅう入院していたような気がします。

ヘルメットをかぶってはいるものの、
運が悪ければ、命を落とすこともないわけではありません。
あのスピードで走り回って、地面にたたきつけられれば。。。

母がはじめて父のレースを見に行ったとき、
父が目の前で落車したそうです。
それからというもの、応援には行かずに、
家でひたすら無事を祈りながら待つようになったそうです。

そんなことがあったからか、私たち子どもたちも、
父のレースを見たことがありません。

そのかわりといってはなんですが、
レースに行く前には、三姉妹で必ず神棚に向かって、
手を合わせて、声を合わせて、
お祈りするのが習慣になっていました。

「お父さんをおまもりください。がんばってね!パンパン(手を合わせる音)!」

習慣なので、気づいたら手を合わせていたのですが、
母が私たちにそう教えたのだと思います。

そして、そのお祈りする私たちの後姿を見て、
父は、「よしやるぞ!」
と出かけて行ったようです。

そのお祈りのおかげか、
父は、何度も怪我をしながらも、必ず我が家に帰り、
今でも元気にしています。

仏壇に手を合わせたり、お墓参りに行ったり、
昔は連れて行かれ、言われるがままにしていたことですが、
今は自然とそういう気持ちになり、折に触れて手を合わせるようになりました。

自分の力ではどうにもならないことがあります。
「自然」を前にするとそれを強く思いますし、
人間の力の及ばない世界があるのだと感じます。
でも、それが”自然”なことだとも思います。

だから、昔の人は”祈る”ということや”想う”ということを
日常の生活に取り入れてきたんだと思います。

私自身、以前は、”祈る”ということをあまり重視していませんでしたが、
最近、”祈る”というのも、やっぱりとても大切なことかもしれないと思っています。

想った方向に物事が進んでいくように、
”祈りはどこかに通じる”と、
信じているからかもしれません。

”流れ”は、想い、祈ることによって、創っていくものです。


ちなみに、この「一休さん」と「かえるさん」へのお賽銭は、
初詣の際にもって行き、
みなさんの分までお祈りしてまいります。

みんなにたくさんのシアワセが降りますように・・・。
そう思いながら、一休さんの頭をなでなでしてしまう私なのでした。  


Posted by とちの実 at 14:26Comments(6)徒然なもの